SSブログ

筑紫哲也さん [その他]

筑紫哲也さんが亡くなったんですね。合掌。

わが家にはテレビがなくて、テレビ番組は出張先のホテルで見る程度。テレビのニュースもかれこれ5年以上ちゃんと見ていないと思うので、筑紫さんがキャスターだったニュース23もほとんど記憶に残っていない。筑紫さんは、言葉尻をとらえて批判されたり、ネットでは反日プロパガンダとか偏向報道と批判も多いけど、個人的には著しく偏向していたとも思わなかった。ニュースも歴史も誰かに語られた時点でバイアスがかかるものだと思うし、たぶん署名記事のコラムを読むようなもので、すべてのメディアの温度が常に一定というのも気持が悪い。それでもAmazonの筑紫哲也さんの批判本のレビューを読むと、蛇蝎のごとく嫌う人々がいることも分かる。そんな角度から見ると、ぼくも筑紫の偏向報道と妄言に洗脳された反日脳の自虐非国民に見えるんだろうか。対立意見の陣営からは恫喝や脅迫もあったと思う。スタジオを離れ、現場に足を運び、そこで実感したことをぼくたちに伝えようとする姿勢は、さすがジャーナリスト出身だと頼もしく思った。
ただそんなことも過去の記憶だったりするわけだ。

続きを読む


Kitten [その他]

P1010397.jpg

夏の少し前から近所で、相次いで迷いネコを探すチラシが電信柱に貼られていた。最初は“にゃんたろう”。にゃんたろうのチラシは間もなくはがされていた。無事飼い主の元に帰ることはできたのかな。その次は“ハナコ”という名前のネコ。行方不明になったのは7月5日。飼い主は毎晩のように名前を呼びながら熱心に探している。途中、ネコを探す専門家も参加していた。迷いネコ捜査員の方は今も時々、スクーターに乗って情報探しに現れる。近所の住人はネコに優しいし、ハナコの行方を気にかけている方も多いと思う。 無事に帰宅しますように。

ハナコの飼い主のお姉さんが、深夜にハナコを探している途中、路上で“カラアゲ”大のかたまりをネコが心配そうに見つめているのを見かけて、近寄ってみると、まだ臍の緒が残る生後間もないネコの赤ちゃんだった。育児放棄だろうか。ハナコの飼い主の方はその子を連れ帰り、母親代わりに育てている。赤ちゃんなので3時間に1回、ミルクをあげなければならない。とても大変そうだ。でもちゃんと育ててくれる人に見つけてもらって良かった。いやホントに良かったね。その後すくすくと育ち、今はこんな感じですと、仕事場に連れてきてくれた。やっと目が開いたそうだ。まだまだ小さい。親ネコがいればまだ四六時中付きっきりの大きさだと思う。でもたくましく育っている。ホントにちっちゃいので、今は靴の箱がお家。かわいい。ハナコが帰宅したら養子入りだ。子猫は英語でもドイツ語でもイタリア語でもKitten(たぶん)。

谷口ジローの「犬を飼う」の中にネコを育てるエピソードも収められていて、動物感動ストーリーではなく、動物との日常を丁寧に描いているだけなのに、なぜか爆発的な感動がある。

写真を見る


Ecdysis Companion [その他]

P1010392.jpg

凶暴な西日。風通しが良いのでそんなに暑くはない。集合住宅の中に設けられた中庭のような路地の冷気と、目の前の公園の冷気が仕事場を通り抜ける。緑の効果はスゴいな。ただし夜になると凪の時間がしばらく続き、その頃にはエアコンがないと、椅子に座ったままでも汗が止まらない。

P1010391.jpg

昨夜、脱皮したのはアブラゼミだった。植木の下に空蝉が二体転がっている。連れで脱皮した蝉がもう一匹いた。脱皮仲間。なんだか羨ましいな。

P1010380.jpg

子猫は遠慮がないので部屋中で遊び回る。無駄に走るし無駄に跳ねる。この一匹だけが、どこでどうやって生き延びたのだろう。兄弟とは死に別れたのだろうか。近所のノラネコはほとんど避妊手術を終えているので、親がどのネコなのかも分からない。ハニーポップで遊ばれるのは少々困るので、座面にバズオフスプレーを吹きかけた。ミントと柑橘がまざったスーッとする匂い。虫が嫌がる匂いとネコが嫌いな匂いが同じなのはなんだか不思議だ。ドボルザークの「家路」のチャイムが中野区に17時を伝えると、競い合うように公園の木で一斉に蝉が鳴き始めた。

少しだけ続きます


赤塚不二夫さん [その他]

赤塚不二夫さんが亡くなったそうだ。ご冥福をお祈り申し上げます。

ぼくは小学3年生の時、小児ぜんそくの治療のために1年間、札幌の大きな病院に入院していた。赤塚不二夫さんはこの頃、ぼくらの病棟に慰問に来てくれたことがあり、病院に付属する学校の講堂に入院中の小学生を集めてマンガの話をしてくれた。ニコニコ笑いながら大きな紙にいろいろな絵をどんどん描き、絵は病気が重い子どもにプレゼントされたはずだ。目の前でおそ松くんやイヤミやニャロメの絵が描かれていく。ノートの片隅に描くニャロメではなくて、ホンモノのニャロメだ。ぼくたちは大喜びだった。質問コーナーで手を挙げて何か尋ねたのだけど、うかつにもすごく興奮していて何を聞いたのかはまったく憶えていない。享年72歳ということは、赤塚さんは当時は30代の半ば。その年齢で、多忙な仕事(本当に忙しかったと思う)の合間を縫ってボランティアで小児病棟を巡っていたのだ。当時の30代は大人だったのだなと思う。

長女の赤塚りえ子さんは現代美術作家で、代官山のギャラリーで作品を見たことがある。展示作品は巨大なカレイドスコープだった。中にはいろいろな日用品やガラクタが入っている。それをぐるぐる回して覗く作品。スゴく面白かった。今はフジオプロの経営者らしい。

西新宿5丁目の駅の近くにある台湾料理店「山珍居」は、日本SF作家クラブ発祥の地でもあるのだが、漫画家の来店も多かったようだ。店内にはいろんな巨匠作家の色紙が飾られている。もちろん赤塚不二夫さんの色紙もある。スタジオゼロもこの店の近所だった。この前、ランチタイムに焼きビーフンを食べに行った時、店内に「赤塚不二夫記念館」のチラシが貼られていた。青梅市にオープンしたらしい。青梅市は昭和の町並みを保存しているのではなかったかな。その一角にあるのだろうか。だとしたら行ってみたい。

P1010384.jpg

昨日から子猫が遊びに来るようになった。例の茶トラのネコとは直接の親戚関係ではない。けど似てる。耳の形はまったく違うけど。

不完全変態 [その他]

P1010367.jpg

近所のネコがゴハンのお礼に蝉の幼虫を捕まえて、入り口に置いていってくれた。まだ生きているので生け垣の木の枝に載せると、どんどん上にのぼっていく。上りつめたらそこで動きがピタリと止まった。何年間も土の中で過ごして、やっと地上に出てきたのだ。何年間も土の中で孤独だろうと言う人もいるが、一人で生まれて一人で死んでくのは人間も同じことだ。


P1010361.jpg


子どもの頃に読んだポプラ社刊の「ファーブル昆虫記」には、ファーブルの家族が夏の朝に蝉の幼虫を捕まえに森に出かけて、それをフライにして食べる話が載っていた。エビのような味でおいしいと書かれていたのが印象に残っている。ドイツにいた頃は蝉の鳴き声を聞いたことはなかった。黒い森に蝉はいなかったのだ。黒い森にはいなくても南仏に行くと蝉はいる。土に眠る昆虫は氷河期で死に絶えたのではないだろうか。モンスーン気候の日本はヨーロッパに比べると圧倒的に昆虫が多い。農薬を使わない有機農法はドイツやスイスが有名だけど、虫だらけの日本とは苦心のほどが違うのではないかと思う。

「ファーブル昆虫記」を翻訳していた古川晴男先生とはどんな人だったのだろう。ぼくは古川先生のような昆虫博士にあこがれていた。「シートン動物記」は椋鳩十監修を読んだ。「ファーブル昆虫記」と「シートン動物記」は、小学生の頃に、本当に隅から隅まで読み尽くすくらい熟読した本だった。ただしファーブルの記述にはフィクションが多いらしい。「ファーブル昆虫記」を最初に翻訳したのはアナーキストの大杉栄だ。そういえば渋谷にある志賀昆虫普及社の創始者志賀卯助さんの自伝は面白かった。

続きを読む


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。