昨年末、VOGUE NIPPONにアール・デコの原稿を書きました。

「1925年様式」。これがアール・デコ様式の別の呼び名だ。アール・デコは同年にパリで開催された装飾美術・工芸美術国際博覧会(アール・デコ展)で、人々の心をとらえたスタイルだった。その特長は、光沢と硬質を感じさせる連続するパターンや、電波や光線の反射・放射をイメージさせるジグザグ曲線と放射状の造形、スピードの表現……などが挙げられる。当時、電気による人工光によって生み出された都市のナイトライフと、その陰影に映える明快な装飾でもあった。

19世紀末に西欧の王侯貴族が没落し、工業化社会で財をなした中産階級が隆盛すると、富は都市に還流し、貴族文化とは違う市民の都市文化が育まれていく。都市文化の最初の自己表現が19世紀末のアール・ヌーヴォーであるとすれば、アール・デコは都市消費文化の最初の表現と言えるだろう。アール・デコは都市の富の動きをトレースするように、自動車、ファッション、家具、ショップ、レストランなどに広がりを見せた。当時、産油国として豊かさを誇ったアメリカの都市部に、アール・デコの名作建築が多いのも納得がいく。アメリカではジャズ・モダンとも呼ばれていた。

一方でアール・デコはコマーシャリズムと不可分であるがゆえに、それを潔しとしない美術や建築界から黙殺される。やがて第二次世界大戦の勃発と、都市文化の衰退とともに、アール・デコのブームは終焉を迎える。