南ドイツ取材の合間、シュツットガルトから電車で約1時間のウルム市に立ち寄り、ウルム造形大学の資料を保管するHfG-Archivを訪ねる。ここはプフォルツハイムのデザイン事務所yellow design在籍の荻原さんに、ぼくがドイツ滞在中にご紹介いただいた機関だ。貴重な所蔵品の多くは現在、世界を巡回中、ここには旧ウルム造形大学図書館の蔵書が整理保存され、大学と縁の深いデザイナーや研究者、例えばグラフィックデザイナー、オトル・アイヒャーOtl Aicherの仕事の記録は、氏が収集した資料から手紙まで、ほぼ完璧にアーカイヴされている。ウルム造形大学HfGは第二次大戦後の1953年に開校し、1968年に15年間の歴史を閉じた。日本人ものべ20名ほど同大学で学んでいる。武蔵野美術大学名誉教授の向井周太郎先生もウルム卒業生の一人だ。大学名にあるゲシュタルトゥングGestaltungとは、芸術でも工芸でもデザインの意味でもない。まさに造形としか訳せない言葉。ウルムデザイン大学やウルム工芸大学という和訳は本当は適切ではないわけだ。
大学校舎の建築を手掛け、初代学長に就任したのはバウハウスで学んだスイス人、マックス・ビルMax Bill。しかし、個人のエモーショナルな感覚を重視するバウハウスの教育手法は、「デザインとは理論と演算に基づく理性の賜物」と考える若きデザイン研究家トマス・マルドナードTomás Maldonadoによって否定され意見が衝突、その結果、1957年にマックス・ビルは学長を辞し同大学を去ることになる。芸術表現と決別した人文科学のモダン「デザイン」の理論は、20世紀の半ば、この南ドイツの大学で構築されたものだった。トマス・マルドナードは後にミラノ工科大学の学長に就任する。


ウルム市の旧市街を見渡す丘の上にウルム造形大学はあった。マックス・ビルが設計した校舎は、現在はウルム大学が供用している。戦後の建築物で最初にドイツの歴史文化財に指定された建物だ。