マドリッド最古のフレグランスハウス(という噂の)Alvarez GomezのAgua de Coloniaを取り寄せてみた。トップノートはレモン、ゼラニウム、ユーカリ、ミドルノートはラヴェンダー、ローズマリー、タイム、ベルガモット。レシピだけを見ると4711に似た感じなのかなと思ったけど、香りはぜんぜん違っていた。ドイツとスペインはやっぱり違うよな。予想以上に奥深い香りでした。ほかにバスソルトとウエットティシューも買ってみた。みんな同じ香り。この香り一本で商売しているんだろうか。





昨日、取材で話を聞いた建築家の方はとても面白かった。建築はずいぶん進化したと思われがちだけど、素人目に見ると、たぶん建築の現場は100年前とそう変っていないと思う。せいぜい新しい重機や建材が開発されたり、設計ではCADとかBIMが出てきたくらいで、それは新しいモノではなくて、既存の、例えば製図板の置き換えだったりするわけで、サルからヒトには進化したとは言えないような気がする。モダニズムが理念から様式になってしまい、ついでに思考も滞りがちで、荒唐無稽でも、技術の担保がない実現不能の建築でも、未来の建築をイメージさせる建築家っていなくなったと思う。せいぜい10年先の技術を見据えて、実現可能な範囲でプレゼンテーションするくらいだ。それでいいのかな。100年前に比べて新しい技術はたくさん生まれていると思うのだが、それが建築を通して、直接、空間や感覚や暮らしの豊かさみたいなものに結びついている例が見当たらない。デバイスとして採り込まれたものはたくさんあるけど、それが100年前の空間でも今の空間でも同じように作用するなら、建築って何なんだろうと思ったりして。それは単に強度があるとか、ユニバーサルスペースとか、そういうことじゃないと思う。みんなこぢんまりとしてしまって、何やってるんだよ! と言いたい。建築を考えることは未来を考えることだと思うからだ。軌道修正や小手先の目新しさではなく、圧倒的な未来の建築を夢みたいと思うところだ。