去年、ある会員誌に書いた書評です。

俳優勝新太郎。いや、やっぱりここでは勝新と呼ばせてもらおうかな。日本映画の巨星というか、ブラックホールというか、ともかくそんな希代の名優をカツシンと呼び捨てる不遜は承知の上で。もっとも、書き下ろし自叙伝「俺 勝新太郎 新装版」を紹介するなら、その呼び方のほうががしっくりくる。とりあえず内容を紹介してみよう。えーと……勝新はスゴい。スゴ過ぎる。説明不要。以上。これ以上は書くことはないな。

というわけにはいかないので、もう少し書いてみるけど、この本を「なんて退屈な本」と思う人っているんだろうか。いるわけないよな。勝新は幼少から芸事に親しみ、歌舞伎の科白を暗唱するような少年時代を送った。たぶん言葉が身体化していたのだろう。とにかく文章が超名調子で、こういうのを声に出して読みたい日本語って言うのだと思うよ。そんなリズムの良い文体にぐいぐい引き込まれ、ところどころに「兵隊やくざ」「悪名」「座頭市」などの名画のシーンがインサートされ、見事なカット割で勝新が見た情景が描かれていく。
最初のシーンは例のパンツ事件の逮捕の場面から。玄関で待つ玉緒の目が笑っている。
「お帰りやす。パパがこんな大物だってこと、初めて知りましたがな、今度の事件のおかげで。ほんまにたいしたもんですなぁ、パパは」。

ここでカットが変わり、シーンは昭和6年晩秋、勝新はまだ赤子だ。それから映画スター勝新に至るまで時代を追って描かれるわけだが、トイレにも立たず一気に読んで、気がつくと2時間強。長モノ映画の尺にぴったり合っている。勝新は活字で自分の映画を作ったのではないか。と思ってあとがき(あとがきじゃないよ、音書きですよ、書いてある)を読むと、「活字を映像にしたことはある。映像を活字にすることが出来るだろう。そう思って書き始めた」とあった。脇を固める俳優は、市川雷蔵、石原裕次郎、水原弘。先代の中村鴈治郎も登場する。日本映画好きならたまらないラインアップだ。演技論的な逸話もある。昭和の名監督や任侠の人々も描かれる。表現者としてのリベラルさにも共感できる。戦前の東京に息づいていた花柳街の文化と、当時の色恋沙汰も格好良すぎる。さらに、玉緒夫人があまりに可愛らしすぎる。ああ、もうすべてが面白すぎる。

あとがきには平成4年(1992年)10月と記されているから、還暦を迎える1カ月前に書き上げたことになる。そして勝新はその5年後に彼岸へと渡ってしまう。もっと本を書いてほしかった。もっと勝新の文章を読みたいと思った。吉田豪の特別寄稿はイマイチだった。