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生活思想を考えてみた [本/雑誌/文筆家]

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大久保駅のガード下には丸太でできた電柱がまだ1本残っている。
このことを教えてくれたのは釜山出身の留学生の趙さんだった。北新宿に住んでいた頃、同じ日本語学校の就学生だった女性の紹介で知り合った。寮がぼくのアパートの近所だったので。とても穏やかな方で、東京で日本語を学んで、その後、愛知県立芸術大学の大学院に見事合格した。もともと韓国で建築を学んでいたのだ。もう15年くらい前の話。お元気だろうか。彼との出会いがぼくの初めての異文化交流だった。

週末に雑誌の仕事で小池一子さんの事務所におじゃました。小池さんのお話は真夏の畑に水を撒いたように、すーっと全身にしみ込んでいって、そのたびに鳥肌が立つようなぞくぞくする感覚が追いかけてくる。自然と背筋が伸びてきて、小池さんに教わる学生は幸せだと思った。途中、頭の中が熱くなってきて、普段はさぼっている脳が一生懸命働いている感じだ。一人旅をしている時のように、いろいろな記憶がどんどんつながっていく。例えば、今和次郎の考現学と生活学はどう結びつくのか。ぼくの中ではそれぞれが独立した考察だと勝手に思い込んでいたけど、それらが表裏一体であることに、どうして気づかなかったのだろう。小池さんの話を聞いている間に、知識の隙間のパーツがどんどん埋まっていく。そのパーツはまだ手に入れていなかったのではなくて、既に自分の中にあったのに、気がつかないまま過ごしていたのだ。編集ができていなかった。何かを学ぶ上でムダってないものだなと思う。

こういう時は概してシンクロニシティが起こるものだ。旅の途中で偶然、大切な人に出会うように、ミッシングリンクが予期せぬカタチでつながる経験は、多くの人が体験していると思う。そうだ、こんな夜は書店に行こう。渋谷で地下鉄を降りて、中野行きのバスに乗る前に、ふとそう思った。それでバス停の前にある東急プラザの紀伊国屋書店に向かった。昼食をとっていなかったので、その前に何か食べようと、最上階のレストランフロアでエレベーターを降りて、和食のお店で松花堂弁当を食べる。竹を切って拵えた飯碗の中味は松茸ご飯だった。刺身にハモの湯引きが添えられていたけど、せっかくの季節感が台なしだな。そんなことはどうでも良くて、とっとと会計を済ませて、5階の紀伊国屋書店を散策する。

本田宗一郎が社内報などに綴ったエッセイをまとめた文庫「本田宗一郎からの手紙」が再版されていた。本にまとめる際に付けたと思われる小見出しはいちいち品がなくて最悪で、買うのが恥ずかしかったけど、とりあえず買っておく。五島昇翁の新しい評伝が出ていたが、これは買うのをやめた。前々から読もうと思っていた、副島隆彦氏と植草一秀氏の対談集「売国者たちの末路」も買う。「無印良品の改革」も買った。で、いちばんアタリだったのは、共立女子短大教授の山森芳郎氏の「夢の住まい、夢に出てくる住まい」だ。今日一日はこの本を見つけるためにあったのだと思った。

ぼくは個人的に、日本人の生活や生活思想の歴史を遡ってみたいと思っている。柳田国男の「民間些事」や芦田恵之助の生活綴方とその運動は、その手がかりになると考えていた。戦後の総合誌文化や思想の雑誌を振り返ったり、消費や生活を真摯に考える「美しい暮らしの手帖」や「婦人の友」、「思想の科学」、初期の「モダンリビング」もちゃんと通読したいと思っていた。もちろん今和次郎の生活学もちゃんと読んでおきたい。でもそれに専念することは難しくて、日々の慌ただしい仕事を前にして、恥ずかしながら脇に置きっぱなしだ。きっと同じようなことを考えて、研究している方がいるはずで、そういう研究者の本を読んでみたいと、いつも思っていた。そんな本に初めて出合えた。山森芳郎氏は「夢の住まい、夢に出てくる住まい」で、日本文学の記述を手がかりに、明治からの生活思想を紡いでいく。こういう本を読みたかった。でもその前に「無印良品の改革」を読み、少しだけ原稿を書いて徹夜してしまう。

帰宅して手始めに「売国者たちの末路」を風呂に浸かりながら読み切る。知らない世界は知っている世界よりずっとずっと大きくて深い。明けて今日のニュースで中川昭一元財務相が亡くなったことを知り、なんだか悲しくなった。真っ当なことを言う政治家や論客、役人は失脚するか、社会的に抹殺されるか、若くして亡くなるケースが多いと思う。偶然とは思えない。ぼくは陰謀論者ではないけど、人権が、それを守るべき国家によって、いたずらに蔑ろにされている例は意外に多いのではないかと思ったりする。それが経済とかお金に関わる話題と一緒であることが恐ろしい。コントロールセンターはどこにあるのか。その前に睡眠だ。

ネットの掲示板のエスノセントリズムには辟易とすることが多くて、これからの日本を担う人たちがそんな歪狭なモノの見方で本当に大丈夫なのかと心配になる。若い頃にマルクス主義にかぶれない人はバカで、その後もマルクス主義者でい続けるのはもっとバカと言われるけど、著しく偏った思想は社会教育でそれなりに矯正されて、それなりに教養を得て、それなりに国際感覚を学び、それなりに健全で中庸な思想に収まるものだと思っていた。ところが社会教育や地域教育が力を失い、健康なメディアが滅び、(就職できなくて)社会人が学びの場を失って、ネットの掲示板だけが知識の供給口になると、エスノセントリズムの快楽が濃縮されて、とんでもないバカ日本人が生まれるような気がしてならない。現状打破の切り札は消費ではないかと漠然と思う。人のみならず生物は消費しなければ生きていけない。消費を経済活動とだけ捉えるのではなく、学びの機会にできないだろうか。日々の消費を通して世界を知り、足下を見直し、過度なナショナリズムを中和して、クセノフォビアの興奮を抑え、普通の社会人として生きるきっかけにできれば良いのに思う。消費には食べることも含まれる。消費が生活をつくり身体をつくる。消費の現場と時間を見直すべきだ。それは家庭教育ともリンクするかも知れない。そのためには生活思想はますます大切だ。ブルーノ・ダネーゼ氏は「消費については私たちの世代は十分に仕事をした。これからはあなたたちの世代の仕事だ」と言っていたことを思い出す。

鶴見俊輔、丸山真男、都留重人、武谷三男、武田清子、渡辺慧、鶴見和子の7人の同人により1946年出版された雑誌「思想の科学」(1996年休刊)のシンポジウムが10月24日に開催されます。リアルタイムで読んだことはなかったけど、話を聞きに行ってみようと思う。



夢の住まい、夢に出てくる住まい―建築空間から言語空間へ

夢の住まい、夢に出てくる住まい―建築空間から言語空間へ

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 芙蓉書房出版
  • 発売日: 2009/04
  • メディア: 単行本



売国者たちの末路

売国者たちの末路

  • 作者: 副島 隆彦
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2009/06/23
  • メディア: 単行本



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