政局が不安定になってきたり、何が正義が分からなくなったり、とんでもない悲劇が世界のどこかで起こったとき、ぼくのアタマの中ではいつも頭脳警察の「さようなら世界夫人よ」が流れている。ヘルマン・ヘッセの「さよなら、世界夫人」の訳詩にPANTAがメロディをつけた曲だ。この歌の影響で、ヘッセの詩集を買ったこともある。オリジナルの、というか、植村敏夫さんが訳したヘッセの「さよなら、世界夫人」は、頭脳警察の曲の歌詞とは少し違っていたけど、他の詩には特に興味はなく、それだけ読んで満足していた。



シュツットガルトにいた頃、市内に住んでいる弁護士夫妻に、ガールフレンドと一緒にヘッセの生地であるカルフまでドライブに連れて行ってもらったことがあった。カルフはシュツットガルトからクルマで1時間ほどの小さな町で、山に囲まれて、街の中心には川が流れていた。「車輪の下」に登場する橋はこの川に架かっている。この橋を渡ったときも頭脳警察の曲を鼻歌で歌っていた。この歌を聴くと、なんだか切ない気持ちになる、ぼくたちは、まず、あきらめることから、この世界と向き合わなければならない。しかも、その悲しさに麻痺している。最近また、ぼくの中のぼくは、ずっと「世界はがらくたの中に横たわり……」と「さようなら世界夫人よ」の歌詞を口ずさんでいる。社会生活とは、当たり前のように、自分の無力さと無情を知る修業みたいなものだ。