ミラノで見た、欧州モデルのシビックの2ドア(追記:5ドアでした)。カッコ良かった。



会員誌に書いた書評です。「ざっくばらん」はホントに面白い。お勧めです。

本田宗一郎は二人いる。ひとりは20世紀を生きた本当の本田宗一郎。もうひとりは伝説の中に生きている。私たちは後者の本田に、今も昭和の日本人の理想像を投影してきた。日本人はかくあるべき。経営者はこうありたい。私たちはその遠い道程の道標を、本田宗一郎の数々の魅力的なエピソードや名言に求めてきた。混迷する会議の席でも、「その時、本田宗一郎はこう言った」と田口トモロヲ風に切り出せば、重い車輪も再び動き出した。しかし、言葉は断片に過ぎなくて、会議のお茶のようにすぐに冷めるものだ。伝説には体温がないからだ。

伝説と実在。それは語られた本田宗一郎と、自ら語る本田宗一郎の違いだと思う。氏の自著と言えば、日本経済新聞連載の「私の履歴書」をまとめた「本田宗一郎 夢を力に」(日経ビジネス人文庫)を始め、数冊かが今でも書店で手に入る。しかしその多くは晩年に書かれたものだ。実は、本田技研が四輪者製造に乗り出そうとしていた60年代前半、本田宗一郎は毎年のように著書を上梓している。処女出版は60年に自動車ウィークリー社から発行された「ざっくばらん」というエッセイ集。これは59年春からスタートした「自動車ウィークリー」の連載をまとめたものだ。ASIMOはもちろん、 F1もない時代のホンダ。いや、F1の構想は既に始まっていたのかな。それはともかく、当時、二輪車メーカーのホンダが後に自動車をつくり、本田がアメリカで、日本人で初めて自動車殿堂に名を連ねることを予見した人はいただろか。連載開始時、本田は55歳だった。原書は古書市場で約10万円で取引されている。

この幻の著書が昨年末に再版された。伝説の複製ではなく肉声の復刻だ。おそらく文章は本人が書いたものだと思う。かなりの名文家だったわけだ。何より読みやすいし、言葉がすっと入ってくる。やはり自著は良いものだ。経営論とか技術論とか、内容に拘って読んだ多くの人はこう思うだろう。「本田宗一郎の言葉は時代を超えている」。確かに50年前に書かれた本とは思えない。でもそこに関心して、「昔の人なのに立派」などとオチがつくと、せっかくの本がまたも「伝説」になってしまう。実際、そんな読み方が恥ずかしくなるくらい、フツーに面白い本で、ビジネスマンやホンダファン以外でも十分に楽しめる。

大げさな話ではなく、もし本田宗一郎がいなかったら、日本の自動車産業はもちろん、製造業はずいぶんと遅れてていただろうと思う。本田は間違いなく日本のモノづくりの牽引車、いや牽引者だった。かつては粗悪な模造品と揶揄された日本製品が、今や世界で信頼されていることと、本田宗一郎の思想や行動は無関係ではない。複雑化する社会と山積する経済問題。その解決の答えは入り口にある。それを読み解け、と本の中の本田は言う。伝説が役立つのは酒場だけだ。