エミール・ガレ [美術/音楽/映画]
「Dear」(休刊)という雑誌に書きました。ナンシーは住んでみたい町の一つです。
高度情報化社会では、さまざまな情報や感情が瞬く間に伝わると言われていた。これが私たちの理想なのだろうか。何でも分かってしまい、すぐに出合ってしまう社会を求めていたのだろうか。
ガラス工芸で知られるエミール・ガレ Charles Martin Émile Galléがフランス北東ナンシーで創作を始めた19世紀末は都市文化の黎明期でもあった。美の担い手は、宮廷貴族から産業で財を成した中産階級に移り、富は都市に投資される。アール・ヌーヴォーと呼ばれる装飾様式は、都市の自己表現でもあった。同時に西欧は万国博覧会の時代を迎えていた。各国の物産が博覧会場に集まり、宗教や哲学で説明されてきた“世界”は、モノとカタチで捉えられるようになる。博覧会にはもちろん日本の物産も出品され、未知の美とエキゾチズムは西欧の都市文化にジャポニスムのブームを巻き起こした。この時代、何名かの日本人工芸家がヨーロッパに招聘されている。互いの文化理解や言葉が不確かなまま、彼らは何を語り合っていたのだろう。
20年ほど前、あるイタリア人思想家は西洋と東洋の関係を、出合えない者同士が待ち続けている関係と、ベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」に例えた。そして、出合うことに意味があるのではなく、待ち続けることにも意味があると言う。彼の言葉に倣えば、ガレは待ち続けた人だった。日本美術のモチーフの写しから始め、やがて日本の美意識の深度に気づいてしまったフランス人は、50センチの落下で割れ、わずか1000度で溶け出す儚い素材を頼りに、“ゴドー”を待ち続けたのだ。その時と想いを、ガレのガラスは、21世紀の光に透かされて語りかける。100年以上の時を隔てた対話を楽しみたい。簡単に分かり合うことよりも、大事なことはたくさんある。同展覧会は『サントリー美術館』開館1周年記念展でもある。ロゴをデザインした葛西薫氏が監修している。
http://www.suntory.co.jp/sma/
高度情報化社会では、さまざまな情報や感情が瞬く間に伝わると言われていた。これが私たちの理想なのだろうか。何でも分かってしまい、すぐに出合ってしまう社会を求めていたのだろうか。
ガラス工芸で知られるエミール・ガレ Charles Martin Émile Galléがフランス北東ナンシーで創作を始めた19世紀末は都市文化の黎明期でもあった。美の担い手は、宮廷貴族から産業で財を成した中産階級に移り、富は都市に投資される。アール・ヌーヴォーと呼ばれる装飾様式は、都市の自己表現でもあった。同時に西欧は万国博覧会の時代を迎えていた。各国の物産が博覧会場に集まり、宗教や哲学で説明されてきた“世界”は、モノとカタチで捉えられるようになる。博覧会にはもちろん日本の物産も出品され、未知の美とエキゾチズムは西欧の都市文化にジャポニスムのブームを巻き起こした。この時代、何名かの日本人工芸家がヨーロッパに招聘されている。互いの文化理解や言葉が不確かなまま、彼らは何を語り合っていたのだろう。
20年ほど前、あるイタリア人思想家は西洋と東洋の関係を、出合えない者同士が待ち続けている関係と、ベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」に例えた。そして、出合うことに意味があるのではなく、待ち続けることにも意味があると言う。彼の言葉に倣えば、ガレは待ち続けた人だった。日本美術のモチーフの写しから始め、やがて日本の美意識の深度に気づいてしまったフランス人は、50センチの落下で割れ、わずか1000度で溶け出す儚い素材を頼りに、“ゴドー”を待ち続けたのだ。その時と想いを、ガレのガラスは、21世紀の光に透かされて語りかける。100年以上の時を隔てた対話を楽しみたい。簡単に分かり合うことよりも、大事なことはたくさんある。同展覧会は『サントリー美術館』開館1周年記念展でもある。ロゴをデザインした葛西薫氏が監修している。
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