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ウィーン/分離派会館/MAK [旅/ホテル]

「汝、自らの行為と芸術作品によってすべての人に好まれずとも、少数の者は満足させよ。多数の者に好まれることは良くないことである 」。フリードリヒ・フォン・シラー


http://www.wien.info/jp

ウィーン2日目。この季節、日没はクリスマスイルミネーションのためにある。だから11月末のヨーロッパでは午後5時を回ると遠慮なくそそくさと夜になる。夏場の長過ぎる「夕方」が嘘のようだ。ウィーンのオペラハウス近辺では、日本から訪れた初老の観光客が、コートのフードをかぶって寒そうに歩く姿をよく目にした。20代の日本人女性も多い。ウィーンには日本人が憧れた「西洋」があった。もちろん他の国から旅行に来た旅行者ともたくさんすれ違う。街は雑踏で満ち満ちている。それから、音楽とスイーツで溢れていた。一緒に行った友人たちは「国立歌劇場」で8時から上演されるヴァーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」に急ぎ、ぼくは「分離派会館ゼセッション Secession」に向かう。しかし到着後間もなく閉館となり中を見る時間はなくて、この日はそのままホテルに戻る。ホテルのジムにあるサウナで汗を流して眠りに就いた。

ホテルは北駅に近い「Hotel Nordbahn」に二晩宿泊する。HotelClub.comで予約したリーズナブルな三つ星ホテルだけど、なかなか快適だった。朝食もおいしい。翌朝、朝ゴハンを友人たちと一緒にとって、その後一人で街を歩く。

最初にデザインミュージアムとして高名な「応用美術館MAK」。ここで半日がつぶれる。ロトチェンコと日本のマンガの小さな展覧会が行われていた。ウィーン工房の資料も面白い。ロココやビーダーマイヤーなど各展示室に現代アート作家のコミッションワークがあるのだが、ドナルド・ジャドの作品だけはどこにあるのか分からなかった。美術館の監視員に聞いても知らないと言う。ミニマルアートとはこういうモノかと思う。MAKの後は昨夜見逃した「ゼセッション」のギャラリーを見て、それから日本食を食べて、建築を少し見た。30代始めの頃は、もっと効率よく精力的にいろんなところを見て回ったのだけど、最近は、そうすると翌日が辛いのであまり無理をしないことにしている。切りがないので、行きたいところ2カ所に絞り込んで見学する。たぶんこれがぼくの限界。あとは余力で観光する。やたらとカフェでコーヒーを飲んだり、裏道を選んで散歩をしたり、こうして2日めの夜を迎える。

Vienna by Mak: Prestel Museum Guide (Prestel Museum Guides S.)

Vienna by Mak: Prestel Museum Guide (Prestel Museum Guides S.)

  • 作者: Prestel
  • 出版社/メーカー: Prestel Pub
  • 発売日: 2003/07
  • メディア: ペーパーバック


「ゼセッション」ではクリストファー・ウィリアムス Chistpher Williamsの写真作品などが展示されていた。しかし彼は写真家ではない。映画監督のようにディレクションをして、プロの写真家を使って制作するアーティストだ。昨年、西新宿のアパートの近所にあったギャラリー「WAKO WORKS OF ART」で新作をいくつか見たことがある。その時に見た作品も展示されていた。例えばスウェーデンの超高級カメラ、ハッセルブラッド(実は偽物)を三方向から撮影した3枚の写真。実はこの写真に写っているハッセルブラッド風カメラは80年代に製造されたウクライナ製の安物コピー商品で、そのカメラをハイエンドの撮影技術を誇るスタジオで撮影し、これまたハイエンドのプリント技術で仕上げた作品だ。おそらく本物のハッセルブラッドで撮影しているのではないかと思う。ジョエル・ロブションがインスタントラーメンを袋書きのままつくるようなものだ。「ゼセッション」ではもちろんグスタフ・クリムトの壁画「ベートーベン・フリース」も見た。いろんな人たちが影響を受けたことがよく分かる。展示ケースに並べられたデッサンが写真のように見える。クリムトが美術家協会を離れウィーン分離派を設立したのは35歳の時(1897年)だった。


http://www.secession.at

「ゼセッション」を設計した建築家ヨゼフ・マリーア・オルブリヒ Joseph Maria Olbrichは、ヘッセンのエルンスト・ルードヴィヒ大公により、1899年に現在のドイツ、ダルムシュタットに招聘され、マチルデの丘に美しいユーゲントシュティールの建築を数多く手掛けている。この丘には各国からアーティストが集められ、そこに住み、作品を手掛け、ドイツのユーゲントシュティールの中心地となった。ルードヴィヒ大公はイギリスのアーツアンドクラフツ運動に傾倒していたのだ。

涙を流すマリア像ではなくて、鼻血を流すジラルディ像。アレグザンダー・ジラルディは19世紀末から20世紀にウィーンで活躍したオペレッタ俳優。

オットー・ワグナー Otto Wagnerの「郵便貯金局 Postparkasse」は中に入ることができなくて残念。



夜、8時に友人と合流して夕食に出かけた。この時、8月までソリチュードにいてシュツットガルトの「Württembergischer Kunstverein」の展覧会を制作していたルーマニアのキュレーター、シュテファン Stefan Tiron にも会う。彼は今月末までq21のレジデンシープログラム(http://quartier21.mqw.at/index.php)でウィーンに滞在中。現在はオーストリアの美術雑誌「Monochrom」(http://www.monochrom.at/)の仕事をしている。「Monochrom」の拠点は「クンストハレ・プロジェクトスペース Kunsthalle Wien / ProjectSpace」内のElectric Avenueと呼ばれるエリアにある。ここを彼に案内してもらう。ここはオーストリアのサブカルチュアの玄関先のようなもので、その奥にはどんなに深い世界が広がっているのか計り知れない。正当派のメインカルチュアが分厚いと、その分、サブカルチュアの奥行きも深くなるのだろうか。しかし考えてみるとビーダーマイヤー様式は貴族趣味に対する新興市民のサブカルチュア的なスタイルだったし、分離派も当時の美術の世界ではサブカルのようなものだと思うし、街に進取の気性があるのかも知れない。こうした文化の側面はどんな国にもあると思うけど、懐の深さは国によってずいぶんと違うような気がする。

このあとシュテファンがミュージアムズクオーターから近い、多くの客で賑わうビストロに連れて行ってくれて、そこでおいしいオーストリア料理を食べた。外は雪。食事の後は、お店に置いてあるものは何でも売るという、バーと雑貨屋、書店、中古レコード店、古物商が一緒になったユニークなカフェに出かける。椅子もテーブルも食器も映写された映像も買うことができる。ここも満席だった。ウィーンの劇場周辺で見かける観光客がメインのお店とはずいぶん違っていて、シュテファンのおかげで少しだけリアル・ウィーン・ライフを垣間みることができた気がする。
シュテファンのWeblog http://vladotron.blogspot.com/

ウィーンを旅行することはガールフレンドの夢だったけど、彼女のドイツ滞在中にそれを果たすことはできなかった。無理してでも出かけておけばよかったと思う。大好きなアウガルテンで贈り物を買う。こうしてウィーン3日間の小旅行は終わり、シュツットガルトまでは飛行機で帰った。飛行場から電車で中央駅に向かい、外に出ると、街中の広場という広場はどこも、クリスマスマーケットの電飾で彩られていた。厚手のコートを着込んだ人たちが笑顔で行き交い、通りにはグリューワインの甘い香りが漂っている。途中からこの人ごみを避けて、シュツットガルトでいちばんおいしいと思う南ドイツ料理店に向かう。そこで地元のワインとシュナップスも飲んだ。友人たちは翌朝日本に帰国する。


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viaggioyumi

私はここ2週間くらい図書館でかり込んで来たウィーン世紀末関係の本を抱えて暮らしてます。なぜなら今週末の演奏会で歌う作品がまさにその時代の音楽だからです。本の写真で見ている、まさにその時代の建築がこのブログで見せていただけて感激してます!
by viaggioyumi (2005-11-28 23:31) 

hsba

viaggioyumiさん、コメントありがとうございます。ウィーンには19世紀末の美しい建築がたくさんあるのですが、ぼくの怠惰でほんの少ししか巡ることができませんでした。郵便貯金局は噂に違わず素晴らしい建築でした。当時の建物に触れていると、その時代の人々の想いが伝わってくるような気がします。歌にもそういう力がるのではないでしょうか。演奏会が成功しますように。
by hsba (2005-11-29 09:27) 

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