今年の1月に取材して書いた記事です。掲載誌「エスクァイア日本版」はご存知のとおり休刊となり、出版社のエスクァイアマガジンジャパンも6月末日で解散しました。勝手ながら、記事の問い合わせ先を引き継ごうと思い、ここに公開させていただきます。質問などは右カラム下にある「メッセージを送る」のリンクからどうぞ。
取材協力/Akademie Schloss Solitude
interpretation by Eiko Micknass

ここには森と城しかない。しかし時間はある。その豊かさに浸る。
南ドイツ、シュトゥットガルトの、美術家のための国際フェローシップに
2002年から新しいプログラムが加わった。
ビジネスパーソンに開かれた、アート、サイエンス&ビジネス・プログラムだ。




城で何が起こっているのか

フランクフルト国際空港に2時間遅れで到着したルフトハンザは、雪の駐機場に佇んでいた。慌ただしい乗り換え客たちの喧噪を抜けて、建築家永山祐子は、空港駅からドイツ国鉄に乗り換えシュトゥットガルトを目指す。自動車産業で栄えた南ドイツの工業都市。その郊外の、雪原と森の小高い丘の上に私たちの目的地はある。その名は「アカデミア・シュロス・ソリテュード(以下・ソリテュード)」。

シュロス・ソリテュードとは16世紀に建てられた、後期バロック様式の美しい宮殿の名前だ。現在は、国際的なフェローシップ・プログラムの名称として、世界の美術作家、音楽家たちに知られている。一般にアーティスト・イン・レジデンスと呼ばれるプログラムで、フェロー招聘されると、宮殿内にアトリエと住居が用意され、奨学金と制作費が提供される。日々の生活に煩わされることなく、制作に専念できるのだ。施設内には各種工房や暗室なども完備され、滞在中、展覧会や演奏会の企画製作も手掛けてくれる。出版部門から書籍の発刊も可能だ。世界でも有数の恵まれたプログラムと言っていい。募集の対象となるカテゴリーは、デザイン、文学、建築、美術、映像、音楽、パフォーミングアーツの7部門。さらに「ソリテュード」は、2002年に新しいカテゴリーを設け、画期的なプログラムをスタートさせた。それがアート、サイエンス&ビジネス・プログラムだ。美術家だけでなく、科学者、研究者、そしてビジネスパーソンにも門戸を開いたのである。



アート&サイエンスの本質とは

なぜ画期的なプログラムと言えるのか。最大の理由は、美術作家とビジネスパーソンの「日常的」な出会いや対話と、それが引き起こす化学反応にある。永山祐子の父上、自然科学研究機構兼生理学研究所の永山國昭教授は生物物理学の第一人者で、科学と芸術の架け橋となる人材支援を目的としたロレアル賞の審査委員を務めてきた。そうした環境で育った彼女にとって、アート&サイエンスは身近な視点なのだが、それを実践する場が限られていることに疑問を感じることがあったと言う。曰く、「賞という枠組みの中で両者が向かい合っても、科学&芸術ではなく、科学vs芸術という構図になりがちな印象を得た」。二つの知が出合い、衝突し、共感し合うことで、未来につながる新しい価値観が生まれるのではないか。しかし実際には、一つの大学内での学際的研究も進まないのが現状だ。その突破口が「ソリテュード」のアート、サイエンス&ビジネス・プログラムに見いだせるかも知れない。

シュトゥットガルト中央駅からタクシーで約30分。クロツグミが恋の歌を口ずさむモノトーンの森を抜けると、忽然と視界が開け、小振りだが端正な古城が目に飛び込む。「ソリテュード」だ。エントランスの重い扉を開けて、地下のカフェテリアで待っていると、アート&サイエンスのプログラムコーディネーター、ユリア・ヴァーマースが鍵を手に現れた。永山はここでフェローと同じように、キッチンと家具が完備された宮殿内のスタジオで3日間を過ごす。明日はディレクターへのインタビューが待っている。

国際化社会の学びとは何か

「アカデミー設立のプロジェクトチームが結成されたのは、ちょうど20年前の1月でした。20周年の『ソリテュード』にようこそ」。ディレクターのジャン-バプティスト・ジョリー教授は、執務室に私たちを笑顔で迎え入れた。ジョリーはパリ出身のフランス人で、ドイツ文学と言語学をパリとベルリンで修め、'83年にシュトゥットガルトに移り住んだ。'89年1月から「ソリテュード」設立委員会の議長を務め、開設後ディレクターに着任する。「'89年11月、ベルリンの壁が崩壊し、東欧の民主化が一気に進みました。『ソリテュード』は設立当初、旧共産圏の若手作家への支援もテーマの一つだったのです。応募者もドイツ国内がほとんどでした。その後、審査員に西欧圏以外の若手有識者が参画するようになり、選定にヨーロッパの目とは違う視点が加わるようになった。現在は一度の公募で1500超の応募が世界中からあり、ドイツ国外からの応募者が60~65%を占めています」。

設立当初より変らないことは、可能性を持つ作家を支援する姿勢だ。ジョリー教授はこう続ける。「人はいろいろなところで学ばなければならない。他者の文化を自分に採り入れ、異文化に興味を持つことはヨーロッパの学びの伝統でもある。今日は情報収集の手段も多様化し、自分の興味が何かを探しやすい環境にあると思う。あとはその場所に行けばいい。ユーロ統一以後のヨーロッパはそうした動きが活発になっている。もちろん大学は今日でも重要な場だ。豊かな知の環境に身を置くことは、大きな意味がある。今日のヨーロッパで不足しているものと言えば、将来の社会に必要と思われる知のコンビネーションだと思う。例えば哲学、デザイン、科学技術の三者の恊働は、残念ながら基礎研究ではまだ進んでいません」。