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下館SPICA [デザイン/建築]

今年、冬にいちばん近づいた瞬間だと思った。

理由もなく下館に立ち寄る。下館市は2005年春に廃止になり、近隣町村と合併して筑西市が新設された。下館駅前に「下館SPICA」という大型商業施設がある。フロアはがらがらだ。人がいなくてがらがらなんじゃなくて、お店がなくてがらがら。1階はほとんどテナントが撤退していて、エスカレーターの脇には「完全閉店セール」のバナーが下がっていた。何もないフロアの壁に貼られたサンタクロースのポスターが寂しい。ここは旧下館市活性化のために、自治体が開発主体となり計画された駅前再開発事業のようだ。1991年にオープン。核店舗はサティだった。
http://www.chikunavi.info/blog/2007/06/post_4.html

大型商業施設を誘致して地方活性化を図り、失敗して破綻する例は日本に限ったことではない。海外でも同じような事例がたくさんあるはず。狡猾な商業コンサルタントに丸め込まれて、それを信じてつくった施設がどんどん立ち枯れしているようだ。コンサルも地方自治体を騙そうとしているわけではないと思うが(中には詐欺もあるかも知れないけど)、コンサルティングってしょせんは他人事だからな。プロデューサーと呼ばれるでも事業結果の責任をまったく負わない人っているし。それより、開発主体は「自分の事」として、どれだけきめ細かく計画したのだろうという疑問も残る。開発主体が社会的無責任で「他人事」になっているんじゃないかな。今の「下館SPICA」を見る限りは、かなり杜撰で大雑把なプランだったのではという印象だ。まあ、これが成功していたらまた違った目で見ているかも知れないけど。たぶん大型商業施設のセオリーに則って企画されているのだが、それを信じているのはコンサルタントとゼネコンの企画部と代理店くらいだよな。浅はかな意図は簡単に現実が乗り越えていく。

それはウチの近所の再開発計画でも同じことで、いろんなお店や住宅、施設がひしめき合っている一帯を、大きな消しゴムでいったん真っ白にして、そこにあった建物の床面積を単純に積み重ねて、開発費を回収するためのフロアをさらに重ねて60階のビルを建て、余った敷地は公開空地する。そんないちばん簡単な方法しか考えられないなんて日本人ってどうしちゃったんだろう。ディベロッパーってどうしてこんなに大雑把なんだろう。

人の生活は床面積に集約されるものではなくて、距離感とか関係とか、もっと複雑な要素が絡み合って地域というのは成立していると思うのだが。ついでに書くと、人が暮らす都市の中に、ただ広いだけの公開空地なんていらないよな。小さくても効果的な空地の配置ってあると思う。そもそも空地って何なんだろう。防災上で必要な場合もあるとは思うけど。建物が建っている場所と建っていない場所、人の活動がある場所とない場所……そんな白か黒かみたいな視点で空地って捉えられているんじゃないだろうか。建物があっても人の活動があっても、人々が自由に行き交い、目的がなくても佇めるような場はあると思うし、逆に建物が建っていない空地なのに人を寄せ付けない、何の意味もない場所もあると思う。広場をつくれば何とかなるわけではなく、そんなでかいヴォイドをつくることよりも、その地域にあった人間関係やコミュニティをちゃんと再構築できるような丁寧な開発が求められていると思うんだ。防災上の問題なら。今ある建物を不自然ではない程度に集約して、不燃化して建物の高さを3〜5倍くらいにして、それで生まれる新しい床面積を賃貸や販売し、長い時間かけて開発費を回収していけばいい。全部壊さなくてもいいかも知れない。敷地を全部まとめてまっさらにして大きく再開発するのではなく、もっと細かく、地区ごとに分割して、それぞれの小さな再開発の集積としての地域再開発にすればいいと思う。大きなルールとマナーを決めて、そこにいろんな建築家やディベロッパーが参画して、住民らとともに必要な建物を考え、個々の努力とその結果の集積で街を造り上げる。そのほうが開発主も気持ちが入るし、できあがる街にも昔ながらの愛着が生まれると思う。でも現実は、何でもかんでもまとめて60階の超高層と余った土地は緑化という、何も考えていない再開発。

複雑なものを単純化して捉えるのではなく、どれだけ複雑なままに捉えられるか。それはぼくのモノの考え方のテーマみたいなものだ。でも世間はシンプルなほうが分かりやすいと思われているようで、何でもかんでも単純化してしまう。思考も街も人も、複雑なテクスチュアは均されて、どれもプラスチックみたいなツルツルな質感になってしまう感じがする。ワインは赤と白だけに単純化できないことを、この10年くらいで日本人は学んできたと思うけど、たぶん昔の赤白ワインの捉え方と同じようなモノの見方は、いろんなところでまだ根深く残っている。

下館の街を散策しようと思ったけど、駅のまわりにあるのは進学塾ばかりで、店先に明かりが灯っているのは薬屋とどこにでもあるチェーン店だけ。これが地方都市の実情なんだろうな。せっかく知らない街に来たのに、どこかで一泊してから帰ろうと思っていたのに、結局、寂寥感と暗鬱な気分だけが体に溜まり、駅のホームで一人で電車を待つ。「遠い山びこ」を読み終える。帰りの電車で「ドイツ語基本表現80」を読み返す。数字と挨拶以外のドイツ語をほとんど忘れている。


遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年

遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年

  • 作者: 佐野 真一
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1996/05
  • メディア: 文庫


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