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出版社の希望商法 [本/雑誌/文筆家]

グルーミングとスキンケアの本を書きたいんだけど、どこかで出版してくれないかな。あ、でも新風舎とか文芸社とかラトルズとか碧天舎(既に倒産済み)とかで出すのはナシね。

共同出版か協力出版かシェアード出版か共創出版かコラボレート出版か、もう何が何だかよく分からないけど、巷で話題(もう旧聞に属するが)の“新風舎”は、そもそも本を売ることがビジネスじゃなくて、出版(生産)することがビジネスだったわけだからさ。本をできた時点で利益が出てるので、売れ行きなんかどうでもいいんだよな。営業と言えば書店に機械的にファックス送るか、Amazonのサイトに担当者が著者が匿名で書評を書いて星を五つ付けるくらいだろう。社員数350人(グループ会社含む)で年間3000冊近い出版物があるわけで、まともに書店営業しているとは思えないよ。たぶん出版点数2位は講談社だと思うけど、こちらは社員数は1000人以上。雑誌の編集部もあるから単純には比較できないが、350人で3000点の出版って“ただ紙に何かを刷ってるだけ”って状況じゃないかと思う。ここが主催する出版大賞のコンテストに応募すると、ボツになっても「受賞は逃したが本にする価値はあるので……」とか、セミナー参加のお誘いがあるらしい。セミナーにはいろんなジャーナリストや作家が講師として参加していたみたいだ。そいつらは今頃冷や汗かいてるんだろうな。結局コンテスト募集もセミナーも本を出したくて仕方ない人を集める手段に過ぎない。群がったところで一本釣り。有田芳生さんは「希望商法」と呼んでいる。出版前に現金を要求する(あるいはクレジット会社と契約させる)外道出版社に比べれば、原稿料を担保に本を刷る出版社なんかはまだ良心的なほうなんだろうな。人を殺すヤクザと人を殺さないヤクザくらいの違いはある。もしくは故障で停まらないクルマと故障で動かないクルマくらいの差。

いろいろな意見や苦情。もちろんどれも反“新風舎”。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1423278
http://www.janjan.jp/culture/0512/0512076043/1.php
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/11/post_f399.html
http://www.janjan.jp/media/0701/0701148009/1.php

“新風舎は「著者とのコミュニケーションを大事にしてきた。著者との良好な関係が絶たれてしまうとしたら大変悲しく残念」と話している”そうです(毎日新聞2007年7月4日)。

片棒を担ぐ記事もあった。大“読売新聞”の待田晋哉記者の見識とは……。
とりあえずバカフラグ3本。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20050803bk08.htm

週刊ダイヤモンド誌(2007年3月24日号)でも「一億『総表現者時代』がやってきた」という特集で新風舎を持ち上げてしまったらしい。合掌。

ついに著者に訴えられた。これが訴状。
http://ourbooks.web.fc2.com/act/act010.html

これが訴えた著者の一人が書いた本。ニュースのおかげで少しは売れたかもね。まあ、それが良かったかどうかは分からないけどさ。

世界けんか独り旅

世界けんか独り旅

  • 作者: 吉田 龍恵
  • 出版社/メーカー: 新風舎
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本



この本を身銭を切って出版したのに、ろくに営業してもらえない元教授は確かに気の毒ではあるが、その人の本をAmazonでチラ見したけど、こんな本が売れると編集者や出版社が判断したと思ったなら救いようがないよな。当事者ではない自分が感じるいちばんの問題点は、詐欺云々よりもコレを金のためとは言えISBNコードまでつけて書籍にしてしまった出版社の意志だ。出版物をなめるな! でも心の底から元教授に同情できないのはナゼだろう。こう言っちゃなんだが、コレって端から見ているとプロレスじゃん。ガチンコだと言われていたケンカ王は「男同士が闘っているのに本気で殴らないとはどういうことだ」とリングの上で文句を言ってる。出版社としては「おい、プロレスなんだからさ。察しろよ」というところだ。出版業界でプロレスを仕掛けようとしたヤツが諸悪の根源だけどさ。挑発に乗ってリングに上がった自称ケンカ王も哀れだ。「まあまあ、本が出たからいいじゃないか」って、ちょっと怪我したけどガマンしてリング下りた人はたくさんいるわけだ。詐欺はみんな不幸にするよね。勝訴したとしても何だか不幸。確かに新風舎は悪質だと思う。ただ、どんな仕組みも使いようで、数打てば稀にヒット作に当たらないとは言い切れない。元教授の本がベストセラーになる可能性もゼロではなかった。とはいえ出版は博打じゃないからさ、そんなこと期待することが間違えてるわけだ。同じような出版システムはほかにもいろいろあって、このWeblogでも書いたことがあるけどね。

以下、2005年5月3日の記事から一部抜粋して再録。
http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart/2005-05-03

最後に飽きれた日本の出版社の話を一つ。ドイツに来る前にある出版システムでの書籍出版を勧められた。話を勧めてくれたプロデューサーの方の好意を仇で返すようで実に心苦しいのだけど、これも日本の出版社のダメな一断面として斬ってお見せしたい。それは出版を債券化して著作者がその債券を買うというシステム。しかし購入する資金は原稿料と相殺されるから実際にお金を払うわけではなく。その他、デザイン料や版権使用料も同様で、最終的に利益が出れば、そのキャピタルゲインを手にすることができる。一見、まっとうなスタイルに見えるけど、ぼくはあまりに邪道ぶりに、飽きれて思わず体中の全部の穴から空気が漏れた。しかも印刷代に関してはお金を貸すから、先にちゃんと支払いをたてるという。

その出版社は印刷会社の関連会社なんだな。だったらデザイン料や版権料のお金も貸し出してまるごと支払うのが筋だ。同じ制作費なんだから。仮に債券化するなら投資家を募って、そのプロジェクトが本当に社会に求められているのかを問えばいい。何も立場の弱い者に債券を押し付けることはないだろう。「本を出したい」という純粋な気持ちにつけこむ外道システムだ。出版社はほとんどノーリスクだが、そのリスクを負わずして、どうしてそのプロダクツへの責任を負えるのだろうか。あえて進んでリスクを負う必要はまったくなけいけど、本に対する責任まで放棄しているようで嫌だった。本当にその出版物が世の中に必要かどうか、客観的な判断がないまま出版されてしまう。まさしく資源の無駄遣い。当然打ち合わせの席には出版社の担当者は顔を出さない。というか、担当者がいるかどうかも定かではない。出版社は本を出すだけで困らないし、売れないと困るのは債権者だ。だから債券を買った著作者が営業までするハメになるのは目に見えている。

そもそも本の材料は紙と印刷インクではなくて、そのコンテンツを成立させる著作物だ。つまり出版社はその著作物の再活用や活用によって利益を得るのであり、その利益から著作権料を払うなんて、クラインの壷みたいに入り組んで、何がなんだかよく分からなくなりそうだが、でもよく考えると本末転倒もいいところだということが分かる。材料(著作物)というものをどう考えているのだろうか。レストランがカレーをつくるのに、肉屋に行って、カレーが売れた利益に応じて肉代払うなんてありえない。それを許すと、まっとうな商売をしている肉屋が不憫ではないか。だからぼくと写真家の方はこの話をお断りした。ぼくや写真家の著作物は、博打のサイコロ代わりに使ってくださいと、こちらからお願いする安物ではないという自負もある。

さらに制作のすべてがこちらに任されているので、自由な本づくりができることも利点として挙げているが、それでは同人誌や自費出版と同じではないか。キャンプのゴハンはキャンプ場にいる仲間には美味しいだろうが、一般の人にはマズくて食えたものではない。やはり良い材料には腕の良いシェフが必要なのだ。そのシェフこそが出版社(責任編集者)なのに、それが不在とは。確かにこのシステムによって、出版社の保守的な風土には生まれ得ない、画期的な本が企画される可能性はあるだろう。しかし、それを期待する出版社って、もうプロの仕事とは言えないよな。いちばん大事な仕事を投げ出している。幸いなことに同社のカタログには件のプロデューサー個人の努力で良書がラインアップされているが、その出版社の実情を知ると背筋が凍えて、脊髄にシベリア超特急が走ったぞ。ドイツ出発直前にこんな状況を目の当たりにして、つくづく日本のへっぽこ出版業界には、企画やプランではなく棺桶が必要なのだと思った。まったく本をバカにするな!

引用以上。

そもそも出版社と印刷会社が結託して利益を共有しようとすると、インサイダー取引みたいなのも可能なわけで、つまり本を印刷することで利益を出すようにすれば良いわけだ。必要なのは輪転機を回すエンジン。稼働率が重要だからね。その燃料は市場から調達する(本を売って回収する)んじゃなくてカモから調達するのが簡単で、たまたまうまくいけばカモにも喜んでもらえる。ある人にこの話を説明したら「みんな幸せになるから良いシステムなんじゃないの」と真顔で言われて、唖然として生まれて始めて人前で脱糞しそうになりました。ぼくがここで書いた出版社は志しがないわけではなくて、それなりに良書もたくさん出ているけど、出ているだけなんだよな。良い本出していますだけでは免罪符にはならないと思うよ。ぼくの知人の瀬戸山さんは、身銭を切らずに岩波書店、NHK出版、小学館から単行本が出版されていて、大きな書店には本が当然のように置かれている。出版に値するか否か、売る価値があるかどうか、出版社もそれなりにシビアに見ているわけだ。本の価値って古書店に買い取ってもらう時に明らかになる。1万円の本でも0円、500円の本が500円で買い取ってもらえることもある。古書店は出版社よりもっとシビアだからね。あ、BOOK OFFは論外ね。

ついでにコレも。みんなで良いものつくろうなんて考えないほうがいい。
http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart/2005-04-29

ぼくが学生時代、池袋西武の旅行ガイド&地図コーナーでアルバイトをしていた頃、女の子二人組みが持ち込んで来た「つんつんつばめのヨーロッパ」って本を委託で店頭に置いたことがあった。全ページ手描きで、町場の軽印刷で刷って製本した、モノクロのペーパーバックでジャケットもないホントに手作りの自費出版本だったけど、これがすごく売れたわけ。もちろんぼくも買った。初めてヨーロッパを旅行した著者の“きしつばめ(田ムラコヨリ)”さんの旅の絵日記なんだけどね、この頃は等身大の旅の本ってなかなかなくて、貧乏バッグパッカーの旅の本か有閑マダムの旅の本くらいしかなかったからね。でも、この本は普通の女の子の旅の嬉しさとか楽しさが滲み出てる、読んでるこちらまで嬉しくなるような本だった。そしたらしばらくしてちゃんと出版社からISBNコード付きで再版された。カラーのジャケットも付いた。その時はバイトのぼくまで嬉しかったもんな。ただ何となく最初の良さがスポイルされたみたいな気がして、あれは最初の全ページ手描きの軽印刷のほうが良かったんじゃないかと思ったりした。いずれにしても例の「世界けんか独り旅」なんかよりずっと良書だと思う。立派な本をつくれば良いというわけではないんだな。中国ではコピー機(ゼログラフィ)で非合法の写真雑誌をつくっていた地下出版の編集者もいる。これは命がけの出版だ。この編集者は美術評論家の清水敏男さんの友人で、彼は最近写真の美術館をオープンさせたそうだ。清水さんの事務所で見せていただいたその記念出版物は、当時のコピーと簡易製本でつくられていた非合法写真集の復刻版と美術館のカタログだった。どんなカタチであれ良い本には力があるし、どこかで人の目に留まるものだ。世の中の目は節穴ばかりではないから。

こんなWeblogも先日30万PV(無料だけど)を数え、いろんな人との交流があり、貴重なメッセージをいただいたことも数多い。それだけでホントに嬉しい。殊勝ぶるわけではないけど、暇つぶしに役立てるだけでも光栄です。

つんつんつばめのヨーロッパ (1982年)

つんつんつばめのヨーロッパ (1982年)

  • 作者: きし つばめ
  • 出版社/メーカー: ランダム出版
  • 発売日: 1982/03
  • メディア: -


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うな

「つんつんつばめのヨーロッパ」持ってました。懐かしいです。
カラージャケットつきの方でしたけど。

当時高校生でしたが、海外に行くと言えばパックツアーか正式な留学しか想像できなかったので、自由旅行(しかも女性だけ)という発想に衝撃を受け、自分も行きたい!と強く思いました。
大学生になってからバイト代を貯金してイギリス一人旅を実現しました。
その間に英語を勉強したせいもあって貿易に関係ある会社に就職→その会社で出会った相手と結婚 と進んだので、ある意味つばめさん(とコヨリさん)、それに橋場さんのお仕事のおかげで人生変わったと言えるかもしれません。
不思議ですね。

つばめさん、今もお元気でいらっしゃるのかな。
by うな (2011-11-07 23:59) 

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