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東京ロマンチック [デザイン/建築]

一つ前の記事、あまりに長くなったので二つに分けました。


ポルトガルの建築家と言えば、今ではアルヴァロ・シザ・ヴィエイラ Álvaro Siza Vieira だけど、80年代に注目されていたのはトマス・タヴィエラ Tomás Taveira だった。一言で説明するなら、彼はポストモダン建築家ということになるのだろう。リスボンに作品が多い。ポストモダンと呼ばれる建築にはアールデコ風の意匠が多く見受けられる。ジャズとシャネルとポール・ポワレ。わずか10年ほどで時代遅れになった都市文化。そのアナクロニズムをフィクションとして建築表現に用いる建築家が多かったからだろう。

モダン以前の建築は雄弁にフィクションを語り、「装飾」はその言葉であり、建築自体の価値を裏付ける物語だった。とりわけ時代の様式を持ち得なかった19世紀の建築家は、ゴシックリバイバルやオーダーを多用する古典主義など、様式の編集者と呼んでいい仕事ぶりだったと言える。建築家は建築史家でもあったわけだ。 装飾の意味と編集の意味。二つの客観的な物語で紡がれた建築教養主義の爛熟が臨界点に達した頃、各国で経験主義や表現主義、ロマンチックナショナリズムの台頭が始まる。古典様式を捨て去るという点において、モダニズムも同じ文脈で捉えられるかも知れない。表現建築の「装飾」は、それが建つ風土と、表現者としての建築家の主観的世界観が源となる。そして建築は自由になった。それが現在の状況とも重なる気がするけど、それはまた今度。

白い箱のモダニズム建築は、古典様式や表現主義を「建築家」から「市民」に開放する過渡期の一つの極論(プロトタイプ)だったのではないかと思うことがある。なぜかそれが建築のメインストリームになり、ヒステリックに「装飾」が否定されて100年。今では装飾の「物語」を読解できる建築家も少なく、その装飾が洗練されているのか貧相なのかはもとより、適切なのか否か、その質を判定できる者もいないのではないかと思う。もう一つ。無名化が宿命だったモダン建築は、主観性を否定するあまり、上質な「表現」を味わう目を失ってしまったのではないか。結局、ポストモダンで遊んだ建築家たちは、単に「フィクション」として装飾を使ったわけで、それを使うことに意味があり、装飾の質や意味は問わなかったのだろうと思う。と、隈研吾氏の「M2」を見た時の薄ら寒さを思い出す。

以前、東京最大のモスク「東京ジャーミィ」を見学した時、「スゴイ装飾ですね」と言ったら、「イスラム建築に装飾はありません」ってトルコ文化センターの方に言われた。「偶像崇拝を否定するイスラムでは装飾もまた否定されるもの」とのこと。ではこの絢爛な模様と飾りは何ですか。「それはコーランの言葉(カリグラフィ)です。例えばこの扉の上の模様に見える部分。慈悲深きアッラーフの御名においてと書いてあります」。へー、模様に見えたけど文字なんだ。そんなことを何も知らない日本人が、トルコ料理店の内装を不遜にもモスク風にデザインすると、モスレムの人々にとっては意味不明で屈辱的なカリグラフィを店内で目にすることになるのかも知れない。無知は恐ろしい。ポストモダン建築にもこれに近いことが起きていたんだろうな。あのヴェンチューリ先生がデザインした日光霧降高原の保養施設の、書き割り風「日本の街角」装飾なんかは、まさにそんな雰囲気があった。

ぼくは基本的に自分はモダニストだと思いたいが、装飾の意味をちゃんと語れる人でありたい。ま、難しいけどね。
ぼくは、表現主義や各国の経験主義の建築家や、モダン黎明期の建築家たちは、古典装飾の意味も物語も理解していてたのではないかと思っている。その歴史の呪縛から逃れ、何の担保もないところから経験的、主観的な建築をつくった建築家の覚悟は、教養なき現代の「主観的」な建築とはまるで違うのではないだろうか。なーんて思ったりする。

パラディオの建築を追体験しようと、モダンの技術で古典を再構築しようとした新居千秋さんのような真面目な建築家もいたんだよな。モダニズムはフォルムの問題ではなくて、つくる『方法』の問題だと考えていたのだ。「この複雑なドーム屋根の施工は無理」と泣き言を言う施工者(たしか清水建設)に、1/2(もっと小さいかも)の模型を自分でつくって、「ほら、できるじゃん!」と愚痴を封印させたという逸話を聞いた。方法を間違えなければ、あとはその方法を積み重ねるだけで職人技に近い装飾的造形もつくることができる。それを示したわけだ。まさに方法序説。サヴォア邸と同じ建築をつくった建築家もいたけど、ル・コルビュジエを追体験してどんな意味があったのだろうね。そういう実験ができた時代だったわけだ。バブルって。

CLAUS PORTのパッケージ(一つ前の記事)を見て、こんなことを考えていた。ポルトガル&アールデコ・モチーフつながりで(あと、昨日のさえさんのコメントつながりで)。

東京ポスト・モダン

東京ポスト・モダン

  • 作者: 松葉 一清
  • 出版社/メーカー: 三省堂
  • 発売日: 1985/05
  • メディア: 単行本


ホントにお気楽。かなりこっぱずかしいです。


バウハウスからマイホームまで

バウハウスからマイホームまで

  • 作者: トム・ウルフ
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 1983/05
  • メディア: 単行本


名著です。


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コメント 2

Beep

ずいぶん踏み込んでますね。
ボクは歴史的様式をきれに俯瞰できるほど勉強してないから、
一言で言うと「教養がない」になるんだと、橋場さんの文章を読んで改めて自覚しました。つーか、「教養」って時間(歴史)と空間(世界)の位相を理解するコトなんだな、と、で、そんなコトを意識したらモノなんかつくれるのか?って疑問も。
「装飾」って云うのはボクの仕事でも終始重大なテーマであり続けているワケで、ひとまず否定するのが一番安易な解の求め方なのかも、と、思いながら15年にはなりますね。情け無いけど難しいんですよ。
東洋文様史なんて授業も昔は取ってたんですけどね。
by Beep (2006-10-07 03:56) 

hsba

Beepさん、どうもありがとうございます。
確か丸谷才一さんだと思うのですが、ある講演の中で、教養主義が廃れたことを話していたのですが、その例えが自動車でした。クルマの性能は日々進化するけど、そのクルマを使って何をするか、どこに出かけるかは未だにガイドブックやマニュアル任せ。その「何をするか」を見出す力が教養なのだという話で、教養というのは技術や文化を応用する力、駆動力みたいなものなのかなと思っていました。なぜか教養主義って戦後は否定される傾向にあったみたいです。書名は忘れましたが3年くらい前、新潮新書でそのあたりの話を興味深く読みました。その割にあまり覚えていなくて、身になっていないんですけど。
建築の装飾と家具や日用品、洋服の装飾との関係はまったく分からなくて、実際、20世紀以前の建築の装飾には意味があるらしいことは分かっても、意味は分からないという状況です。同様にポストモダンの建築家の書いたモノを読んでも「引用」の先の話が語られていなくて、物足りなく感じたものです。必然性のある装飾を的確に与えることもモダニズムではないかと思うのですが、それが「ポスト」モダンと呼ばれていたのが腑に落ちなかったのでした。
というか、現在の「建築家」と呼ばれる人たちがあまり好きじゃないんですね。たぶん。元も子もないですけど。
by hsba (2006-10-11 02:17) 

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