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ノラネコ国の悲劇 [その他]


朝、六本木の取材を終えると、次の打ち合わせは夜なので一度帰宅する。大江戸線はいつも西新宿五丁目の駅を使っている。方南通りの出口を出て暗渠の遊歩道を歩く。昔は神田川に注ぐ水路か小川だったのだろう。橋の欄干の一部が残り、その脇を抜けて舗道に入る。頭の上からちーちーぱっぱと小鳥のさえずりが聞こえてきたので見上げると、電柱のトランスの上にコゲラのような鳥が止まっている。ひとしきり鳴いた後で小刻みに羽ばたいて電柱を離れると、同時に、ぽつりと雨粒が額のあたりに落ちた。小鳥の声が雨を呼んだのだ。遊歩道の雑多な植え込みに一輪だけ、真っ赤な彼岸花が咲いていた。雨が酷くなりそうなので帰路を急ぐ。それでも急に寄り道したくなり、途中「純喫茶いこい」でコーヒーを飲もうかと思ったがやめて、いつものネコ公園のベンチで缶コーヒーでも飲もうと思う。

神田川の菖蒲橋をわたると中野区で、小さな公園はそのすぐ先にある。夜になるとネコだらけなのに昼間はひっそりとしていて、夏も秋もそこだけ気温が少し低い。土のところは水はけが悪く、未だに二日前の雨の水たまりが残っている。昼間のノラネコはどこで何をしているんだろう。人目のつかない場所で眠っているのだろうか。自販機でコーヒーを買って、誰もいない小公園で少しぼんやりする。ベンチの下に、ネコの水飲み用に置いてある器が、タバコの吸い殻でいっぱいになっていた。喫煙家の方はここでネコが水を飲むことを知らないだろうし、悪気はないと思うのだが、悲しい気分になる。辺りには灰皿はない。灰皿がないということはタバコを吸ってはいけないということだと思うのだ。もしくは携帯灰皿を持ち歩いてほしい。この器の水がないと、ネコは水洗トイレの便器の水を飲むことになる。ネコにとってはどの水を飲んでも同じことかも知れない。でもそれが不憫だった。

公園を出てしばらくして、妊娠している三毛ネコと目が合う。おそらく初対面だと思うのだが、このネコが距離を測りながらぼくの後をついてくる。ついにはアパートの門もくぐり、ぼくが部屋に入ろうとドアを開けると、初めて「にゃぁ」と言った。ドアを閉めると、とたんに騒ぎ始め「にゃぁにゃぁ」大げさに鳴く声が外から聞こえてくる。どうやらゴハンの催促なのだ。どうしてこの家にキャットフードがあると分かるのだろう。仕方ないのでドライフードを一掴み、マンホールの上に載せて様子を見ると、そろりそろりとゴハンに近寄り、かりかりと食べ始めた。ネコに近づこうとすると振り返って「ふー」と威嚇される。おいおい、その態度はないだろう。たぶん一人にしてくれということだと思い、とりあえず部屋に戻る。後でまた様子を見るため外に出ると、件の三毛ネコの姿はなくて、しかもゴハンを半分以上残していた。何かに怯えて逃げ出したのか、口が贅沢で食べ飽きたのか、どちらかは分からないけどね。


アパートのお隣の中国料理店が9月末で閉店していた。
この店の前にはいつもノラネコが何匹が屯していて、お腹が空くと入り口のガラス戸の前で遠慮なしに「にゃぁにゃぁ」と食事をねだっていた。そのうち、若奥さんが何かの残りを皿に入れて、外の叩きに置くと、3匹くらいのいろんな種類のネコが黙ってむしゃむしゃ食べていた。この料理店の隣が空き家で、ネコはそこで暮らしているらしい。食事が済むと店先であることもお構いなしに、手足を伸ばして腹を見せ、すやすや眠っているのをよく見かけた。そんな憩いの場でもあるお店が閉店となると、近所のネコにとっては死活問題ではないか。ひと事、というかネコ事ながら少々気になってしまう。

今、ネコ公園の食事に集うノラネコは多くて15匹、少なくて5、6匹。公園ではほかにもいろんな人がゴハンをあげているけど、10匹以上になると毎晩の食費もバカにならない。2キロのキャットフードがあっという間になくなってしまう。そこに、この中国料理店のご贔屓ネコ軍団が合流すると、この公園は一大ネコ集会場になってしまう。ネコに自治会は期待できないし、ケンカも増えるだろう。ノラネコハンターに目を付けられるかも知れない。ネコが好きな人ばかりではないから、不快に思う人も増えるかも知れない。昨日、ネコ公園でよく一緒になる中年女性と、このままでは増え続ける一方なので、人様の都合で恐縮なのだが早々に去勢手術をしないといけないという話になる。この女性は時々、獣医にかけ合って入手した抗生物質や目薬を持ってきてくれる。最近子ネコがくしゃみばかりしているのを気にしている。

中野区は飼いネコの去勢手術には半額負担してくれるらしい。しかしノラネコはダメ。だから家のネコだと嘘をついて届け出するしかない。しかし相手はノラネコなので捕まえてネコ病院に連れていくのも大変だ。どうしたものかと腕を組む。同じ本町でも渋谷区側は去勢されたノラネコが多いようだが、どうやっているのだろう。最近、雌のノラネコが首輪を付けた彼岸ネコに追い回されているのを見かけることがある。ノラネコのコドモが増えないよう、雄ネコの飼い主も何とかしてほしいと思う。


このネコはいつも急ぎ足で行き来しているけど、今日はお休みの様子。ノラネコとは思えない無防備さ。それにしても、川沿いの道をなぜいつも駆け足で移動しているのだろう。それから、あの三毛ネコは、初対面なのにどうして家にキャットフードがあると分かったのだろう。昼間のノラネコ家族はどこにいるのだろう。ノラネコ社会は不思議なことばかりだ。

ちなみに自分は特別ネコ好きというわけではないんだにゃー。

ノラネコの研究

ノラネコの研究

  • 作者: 伊沢 雅子, 平出 衛
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 1994/04
  • メディア: 単行本


猫・陽のあたる場所―武田花写真集

猫・陽のあたる場所―武田花写真集

  • 作者: 武田 花
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 1987/10
  • メディア: 単行本


猫―TOKYO WILD CATS 武田花写真集

猫―TOKYO WILD CATS 武田花写真集

  • 作者: 武田 花
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1996/04
  • メディア: 大型本

武田花さんには前々職でいろいろお世話になりました。

その後、雨はすぐに上がって、雲も消えて日射しが帰ってきた。雨降りなら打ち合わせの前に少し昼寝でもしようかと思ったのだが、近所を少し散歩して考え事をまとめようと思う。最近、建築やデザインのモダニズムと、合理化rationalizationとを混同している人によく会う。モダニズムは精神の問題で、形や、ましては整理整頓の問題ではない。形になると結果的に合理化されているように見えるが、合理化(あるいは合理的に見せること)がモダニズムの第一の目的ではないと思うのだ。ぼくは文学部卒業だからモダニズムは建築や美術ではなくて、高橋和己や武田泰淳の作品と方法で学んだ。ポストモダンは田中康夫で学んだ。文学のモダンは、言葉による、リアリティの再構築だ。その思考プロセスはデザインも建築も同じだと思う。建築やデザインを見る目はフォルムに寄り過ぎだ。だからモダンも形やスタイルの問題になる。もしくは西欧近代主義思想と完全に混同している。その辺りが最近すごく気になるので、そのうちちゃんとまとめようと思う。そのためにも高橋和己とフォークナーあたりを再読したいところだ。


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コメント 6

大阪の軍艦アパートで、取り壊し前の建物を撮影していた方が、近所の猫のことをやはり心配していました。もうじき、こぎれいなマンションが建つだろうけど、新しい住人はノラ猫に心をかけたりするだろうか、と。閉店が続く商店街、野良猫が棲みにくくなる街。日本の都会にあった(よい意味での)雑然さが失われていきますね。

モダニズムについて、橋場さんの考えをぜひ詳しく聞いてみたいです。以前、デ・クレルクの椅子の写真を研究家に見せたけれど、「異端」扱いだったとのコメントを頂きました。そのことがずっと気になっていて。。。その「異端」という発想の背景に何があるのか、私自身とても興味があります。
by (2006-10-04 16:34) 

hsba

さえさん、記事をブログで紹介してくれて、どうもありがとうございます。
ぼくも数年前、デ・クレルクの椅子の写真を近代椅子研究家に見せたけど、「異端」扱いで気にも留められずショックでした。同時代のマッキントッシュやライトは普通に受け入れるんですけどね(チェザーレ・カッシーナが復刻するまではマッキントッシュの椅子も忘れ去られた異端だったそうです)。あと、ガウディも未だに異端扱いみたいです。アンリ・ヴァン・デ・ベルデも『もっと評価されるべきだ」と言う割には家具はダメでした。

時間軸に沿って並ぶ因果と結果の連鎖の中でしか「歴史」を捉えられない人って多いですね(自分も含めてですが)。進化=「因果と結果」でだけで客観的に家具史を学ぶ人には、主観的な「表現」は恐怖だと思いますよ。堀口捨巳のような教養豊かで大らかな目を持つ人は、少なくなったということでしょう。日本ではぜんぜん違う分野の方(例えばファッションとか)が、そのうちちゃんと評価してくれるんじゃないかと思います。

デ・クレルクは第一次大戦後まもなく亡くなったようですが、彼の死後、アムステルダム派は急に減速して、1930年のDe Telegraaf bldg.を最後に「アムステルダム派」と呼ばれる建築が見当たらなくなります。アムステルダム派の建築家は1880年代生まれが多く、1960〜80年代まで存命の人もずいぶんいたみたいですが、1930年以後、彼らはどんな建築をつくっていたのでしょうか? 「因果の結果」がどうなったのか気になってます。その跡を現代まで追う事ができれば、諸先生方もデ・クレルクの家具も評価しやすくなるのかも知れません。
by hsba (2006-10-07 00:57) 

1923年以降のアムステルダム派建築が1916-23年の勢いを失ったという説は、オランダの研究者の間で長らく主流でした。

ただ、これについては、過去10年様々な研究が出ていて、「減速」の要因が多角的に研究されています。例として、第一次世界大戦直後、それまで政府から豊富に与えられていた住宅建設支援補助金が徐々に減額され、1923年に廃止されたことが挙げられます。デ・クレルクの死が同じく1923年なので、象徴的に語られますが、このテーマを調べると、更に複雑な因果の絡みが浮かび上がってきます(面白いですよ☆)。

1930年のDe Telegraaf bldg.の設計者がJ・F・スタール、というのも興味深い点ですね!20世紀初頭以降、アムステルダム市には「Schoonheidscommissie 美観委員会」という機関があり、市内で建設される建物全ての外観は、この委員会の許可を得て決められていました。20年代以降、スタールは委員会の有力メンバーとして、アムステルダム派建築を推進していました。1930年以降、「アムステルダム派建築」とみなせる作品がなくなったというのであれば、この委員会の勢力図が何らかの形で変わったと考えられるかもしれません。

。。。長くなりそうですね(笑)。「アムステルダム派」30年代以降の活動については、もう少し調べてみます。

素朴な疑問を一つ。現在、日本で活動している建築・デザイン研究家の近代建築・デザイン史観は、どの文献をもとに形作られているのでしょうか?過去70年の通史編纂で、①ペヴスナー『モダンデザインの展開』、ギーディオン『空間・時間・建築』、②バナム『第一機械時代の理論とデザイン』、③カーティス『近代建築の系譜』(+ワトキン『道徳と建築』、ジェンクス『ポストモダニズムの建築言語』)の三世代くらいが考えられるのですが。

アムステルダム派が「異端」という感覚は、①の史観に近いものでしょうか。個人差があるにしても、日本の西洋建築史理解の大体のラインがどの辺にあるのか、興味があります。
by (2006-10-07 07:20) 

hsba

残念ながら建築をちゃんと勉強したことがないぼくには、建築史やデザイン史を研究されている方々が、何に基づいて歴史観を俯瞰しているのかは分かりません。ぼくと建築の出合いは1986年のテレビ番組、NHK市民大学で、講師は鈴木博之先生でした。鈴木さんはペヴスナーの影響下にあると思われますが、番組の中ではアムステルダム派についてもちゃんと時間を割いて説明していたことを思い出します。その回では、サーリネン、マッキントッシュ、ガウディ、日本では伊東忠太について採り上げていたはずです。それぞれ孤高を保っているので歴史や文化の文脈の中で大きな共通性は見出しにくいという話でした。
いずれにしても、このテレビがぼくの知識のベースで、その後、トム・ウルフを読み、ミシェル・ラゴンを読み、いろんな人に影響されつつ40代半ばを迎えたという感じです。ちゃんと勉強しておけば良かったと思うことも多々あり、今、研究の場にいるさえさんが羨ましいです。ブログの記事を興味深く読んでいます。
by hsba (2006-10-11 01:48) 

鈴木博之先生がテレビ講義をなさっていたのですね。うう、聞きたかった。といっても、1986年当時の年齢では、何も理解できなかったと思いますが(笑)。

「通史」のレベルでは、地域、時代の中にある多様性が容赦なくそぎ落とされることが多いです。サーリネン、ガウディ(デ・クレルクもこの範疇に入るのではないでしょうか)ら、ある意味突出した才能がどのような環境で育ちえたのかは、彼らが属していた社会・文化の文脈を個別に調べないと分からない。私もそう思います。

建築史家がつづる歴史があるように、建築家、デザイナー、文芸評論家それぞれの視点から再構成される歴史があります。橋場さんの記事・コメントを読んでいて面白いのは、テーマへの関心を共有しつつ、そこへ至る入り口、アプローチが異なることですね☆ いつも書いていて繰り返しになりますが、私も大いに勉強させていただいていますよー。
by (2006-10-12 20:35) 

hsba

東京造形大学の多木浩二先生の授業では、バーナムの「第一機械時代の理論とデザイン」とペブスナーの「モダンデザインの源泉」(?)が必読テキストだったそうです。さえさんのベルラーヘの話、すごく興味深いです。堀口捨巳が1942年に著わした「現代オランダ建築」も、なんとか探して読んでみたいと思っています。
by hsba (2006-10-23 01:36) 

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