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Fuck! 「スローな夜」 [生活雑感]

でんきを消して、スローな夜を

私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2006年の夏至の日、6月21日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいにでんきを消しましょう。
ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
(100万人のキャンドルナイトの呼びかけ文より)
http://www.candle-night.org/about/message.html

だってさ。

この耳に心地良い呼びかけ文は、二つの意味で納得がいかない。まず、去年も書いたような気がするけど「でんきを消して、スローな夜を」の「スローな夜」って何なんだよ。

なんでもかんでも「スロー」つける無粋な人を、これからスローバカと呼ぶことにしよう。そんなスローバカがあちこちに増殖していてホントに気分が悪い。もともとはファストフードに対する「スローフード」から始まったのだと思うけど、ちょっと語感が良いものだから、「ファスト」の対抗概念であることは「さて措き」にされてしまい、スローマンションとかスローライフとかスローリビングとかスロービジネス(Business is slowだと「商売あがったりだ」っていう泣き言の意味じゃなかった?)とか、語感の雰囲気や印象だけで「スロー」だけを便利に使う思考停止ビジネスマンがたくさんいて、スローフードっていう大事な言葉までなんだか怪しい響きになっている。そもそも「エコ」という言葉を墓場におくったのはお前らだろうが。こうしてまた大事な「言葉」が消耗していくのだ。そして数年後には恥ずかしくて使えない言葉になってしまう。なぜ言葉を大切にしないのだろう。本当に「気持ち」を伝えたい一大事の時に、言葉が働いてくれなくなるぞ。ついでに書くと、どす黒い「ロハス」番長のソトコトも何とかしてくれ。ロハス、ロハスってアタマ悪そうでうるさいんだよ。あと、共同通信のニュースに「一斉ライトダウン」ってあるけど、そもそもライトアップって言葉自体が和製英語(照明デザイナー石井幹子さんオリジナルの名作コピー)で、新聞記者がそれをひねくり回した「ライトダウン」なんてへんてこな造語使うの、相当違和感があるんですが。「ライト・アウト」や「スロー・ライト・ダウン」なら少しはマシかも知れない。

閑話休題

次に「でんきを消して」って、無駄な照明を消せというなら何の異論もないし、明かりを消したい人は消せば良いと思う。でも、それでスローな夜? 元祖「自主停電運動」みたいに、家の中の電気プラグをできるだけ抜くというイベントなら大賛成だけど、とりあえず照明を消すだけになってしまったのは、他のプラグを抜かれると困るヤツが身内にいたのではないかと勘ぐってしまうよ。「てれびを消して、スローな夜を」じゃあテレビは採り上げてくれないよな。

これも去年書いたかも知れないが、家庭で使う電力量に占める「照明」の消費はわずか約15%に過ぎない。光は目に見えるから、省エネの槍玉に上がるけど、本当は空調とか冷蔵庫とかテレビとか、見えない大食い野郎はたくさんいる。スローバカが連呼する「スローななんちゃら」のために切らなければならないモノは他にあるんじゃないか。照明を消してロウソクをたくさん灯して、熱くなったので冷房を強くする、なんて本末転倒なことにならないよう、キャンドルナイトに踊らされるスロー小バカにはちゃんと伝えておいて欲しいものだ。あまり街を暗くすると犯罪が起きやすくなるし、文化財(特に木造建築)をライトアップするのは放火を防ぐ意味合いもある。照明はただ「明るく」するだけのものではない。その意味も考えずに、「でんきを消して、スローな夜を」では、「光」が地球温暖化の悪役にされているみたいで不憫だ。無駄な照明は消したほうが良いのは言うまでもないが、無駄ではない明かりまで消すことはないと思うよ。


言葉だけに踊らされ、本質は何なのか検証しようとはせず、「オレってスロー」と自分で自分に怪しいラベルを貼って満足してしまう。こういう人たちは本当に危険だと思う。簡単に煽動されそうだ。地球温暖化に危機感を感じているのであれば、あと三歩くらい踏み込んで考えるだけで、明かりを消すより先にしなければならないことが見えてくると思うのだが。考えるのが面倒なのと、イベントやコミュニティに参加している社会的無責任なラクチンさを求めて、「キャンドルナイト」になってしまう。熟考の結果がキャンドルナイトなら、まあ、それはそれで良いと思う。それにしても煌煌と輝く室内照明を消して、いきなり「たった2時間だけ」キャンドルというのも極端だよな。その中間くらいで日々暮らしてみるのがより良いのではないかと思ったりする。ぼくのアパートのリビングの照明は小さな白熱電球が二個(そのうち一個は調光で半分以下の明るさだし)とキッチンの直管蛍光灯だけで、確かにその白熱電球を蛍光灯に代えればもっと消費電力は少なくなるけど、世間の人々よりは慎ましい光で暮らしていると思うよ。テレビもないし。

今日は文句ぱかりだった。参加するなら問題意識を持って参加してくださいというわけで、キャンドルナイトを全否定するモノではありません。悪いことじゃないと思うからね。一応……。

去年も同じことを書いていた。もう少しマイルドだけど。
http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart/2005-06-28


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コメント 3

いけだ

こんばんは、ごぶさたしております。
私はそんなに物知りではありませんが、
確かにロハスをはじめ「セレブ」という言葉にしても、「磨耗」というのはこういうことをいうのかという現象が多い気がします。(※何かの商品に「セレブ」といううたい文句をつけると逆に安っぽくなるという・・・笑)

それではこの根本は何なのだとか、こういう問題はああだこうだと考えると
この話題で一晩明かせそうです(笑)。
by いけだ (2006-06-20 00:36) 

イソカヨ

「でんきを消してスローな夜」に対するはしばさんのご意見、私も最近電気関係の地球環境保護のイベントに賛同している友人をみて似たような事を思ったばかりなので凄く納得してしまいました。環境保護の活動自体には賛成ですが、的を得ていないものが多かったりただただ、何かに対して反対運動を起こしたりと言う物が多くてもっと他にやる事あるのでは?と言いたくなります。
by イソカヨ (2006-06-20 07:10) 

hsba

いけださん、こんにちは。お元気ですか?
言葉は自分の周囲の小さな世界でおバカに使う分には、言葉自体にそんなに影響はないのですが、それをどどーんとマスメディアでやっちゃうのは「言葉」を殺しているのと一緒ですね。セレブってつくと貧乏臭いですよね。昔、トヨタのカローラでいちばん安いグレードの名前が「スーパーデラックス」だったことを思い出しました。

イソカヨさん、どうも。ヨーロッパは気持の良い季節なのでは。
ぼくも環境保護のために頑張っている人は立派だと思いますし、自分もそうありたいと思います。でも、こういう純粋な気持ちにつけ込むビジネスマンがいるってことですよね(とりあえずキャンドルナイトは自主運営で、そんなことはないみたいですけど)。「地球環境を考えて……」って、言われると、ご説ごもっともでケチの付けようがないのですが、そういう便利な言葉だから、それを表向きのスローガンにして隠れ蓑にして、その下でお金儲けしようとしている人がいるような気がします。あと、新興宗教とか(それもお金儲けか)。環境みたいな大きな問題は、入り口は何でもいいし、広いほうが良いと思いますが、出口まで決められると迷惑ですね。
by hsba (2006-06-21 02:32) 

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