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言葉/文法/KUNSTMUSEUM STUTTGART [本/雑誌/文筆家]

一昨日の「デザイナー不信」の記事には予想以上の反応が……。そのすべては直接メールでいただいたものです。自分が考えている以上に、いろんな人が読んでいるのだと驚いた。不特定多数の人々が、中には何の予備知識もなく読む可能性もあるので、個人批判は気をつけなければならないと思いましたね。心ならずも単なる誹謗中傷になってしまう。ん、偽って陥れるわけじゃないから中傷ということはないか。別に誰かから文句やクレームがあったという訳ではありません。

仕事で記事を書くのとは違い、ここでは思いつくままに書いているので、文脈や文章がめちゃくちゃで後で読み直して赤面することが多い。そういう時には一応書き直す。もしくは見捨てる。これまで、こんなに無責任に何かを書いたことはなかったけど、クライアントのいない執筆というのは気楽なもので何でも書けてしまう。自分の事を棚に上げ、という前置きが必要になるが、ぼくが雑誌の仕事をしている時は人が書く原稿には厳しかった。
「執筆」ということが大衆化したのは近代以後のことだと思う。たぶん芦田恵之助の「生活綴り方」以後のことではないだろうか。だから文章の書き方とモダニズムの関係は深い。近代以降、いくつかのテクニックを身に着けて、言葉を覚えて、あとは自分の思考力が切れないように集中して書けば、どんな人でもかなり上質な文章が書ける教育は受けてきた。ある段階までは文章力は科学だ。日本語にはラテン系言語と違い「グラマー」がない。日本語の「グラマー」や「文法」と呼ばれるものは、日本語を使う長い長い歴史の中で洗練されてきたテクニックの一つだとぼくは思う。そのテクニックさえ覚えれば、最小限の単語と助詞、接続詞のもっとも効果的な組み合わせで、短くても中味の濃い、内容のある文章が自動的に書けるようになるはずなのだ。だから、その人がちゃんと書いているかどうかは、助詞や接続詞の使い方を見れば分かる。それができないのは考えるのが面倒くさいか、言葉への集中が続かないということで、プロとしての能力以前の問題になる。そういう文章を書くライターとは二度と仕事をすることはなかった。

しかし実際に文章を書く段階になると、「助詞」や「接続詞」「副詞」はそれなりに純粋さを保っているけど、多くの「名詞」や「動詞」は使い古されて手垢にまみれ、こちらが期待していない余計な意味まで引きずっていることに気がつく。例えば「イリュージョン」という言葉を使おうと思えば、イリュージョンが引きずっているツムラを何とかしなければならないし、「我が輩」という言葉を使うためには、夏目漱石の猫とデーモン小暮を何とか片付けなければならない。「間違いない」を使う時には件の芸人の背後にある創×学会まで洗濯しないと使いづらい。意図的に副次的な意味を活かそうとするのでなければ、その単語が置かれる文脈や、前後の単語の力でワード・ローンダリングしなないと、そう易々と「単語」は使えないのだが、言葉に対して無頓着で鈍感な人はそんなこともまったく考えない。そういう緊張感のない文章を読むのも苦手だ。

なんでこんなことを書き始めたのかと言うと……んー、忘れた。このままでは際限なく書いてしまいそうなので、このへんでやめます。とりあえず、ザーウミ(超意味)を始めとするロシア・フォルマリズムの詩人のマニュフェストはどれも素晴らしいので、文筆家を目指す方には一読を勧めたいところだ。ついでに個人的にお勧めの本なども紹介しておこうと思う。大岡信が「世界」(岩波書店)1978年1月号に載せた「言葉の力」は、25年も前に書かれたのに、言葉が乾燥しがちな現代の心にもじんわり染みわたる名論文だ。「『世界』主要論文選」にも選ばれている。あとは佐高信の「手紙の書き方」もかなりお勧め。あの反権力の辛口評論家で左派論陣の急先鋒が、一般向けにこんな素敵な本を書いていたとはかなりの驚き。もちろんハウツーではない。かなり泣ける本です。ちなみにぼくの文章のお手本は、コピーライターの日暮真三、作家の須賀敦子と中島敦でした。本当は以前取材した歌舞伎町のハイテクキャバクラと渋谷にあったハイテクお見合いセンターの話を書こうと思っていたのだけど、なぜかこんな流れになってしまった。この話はのちほど。

『世界』主要論文選―1946-1995

『世界』主要論文選―1946-1995

  • 作者: 『世界』主要論文選編集委員会
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


手紙の書き方

手紙の書き方

  • 作者: 佐高 信
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/01
  • メディア: 新書


昨日の記事の一部をこちらに移動。
昨日は「シュツットガルト市立美術館 KUNSTMUSEUM STUTTGART」のバイスディレクターの案内で約1時間の美術館ツアーをした。もちろん1時間で全部見られるわけはなく、美術館のコンセプトの説明を聞いてあとはランダムに作家を紹介。オットー・ディックス Otto Dix はこの美術館の売りの一つなので、それはちゃんと説明してくれました。前にも書いたけど、この美術館は入り口を入るとすぐにカフェ&バーがあって、なんと深夜0時まで営業している。最上階のレストランも0時まで。公立美術館とは思えないほど付帯の料飲施設が充実している。それにしても美術館のエントランスホールにバーとは……。昼間からお酒を飲んでいる人も多数。バイスディレクターは、シュツットガルトは、かつてはドイツ現代美術の発信源と言えるギャラリー都市だったのに、国際的にはほとんど無名で過小評価されていると嘆いていた。もう少し詳しく話を聞きたいところだ。あと、第二次大戦中、ヒトラーがシュツットガルトに立ち寄ることになり、慌てて市役所の中に設置したアドルフ・ヘルツェル Adolf Holzel のステンドグラスを取り外したという話もしてくれた。ナチの退廃芸術弾圧の時代でも地方は意外に緩かったのだろうか。「シュツットガルト市立美術館」のコレクションはシュツットガルトゆかりの作家が中心で、かつてナチに抑圧された抽象絵画や表現主義、コンクリート・アート(コンクリートでできたアートではない)の作品が多い。ドイツ音楽を愛したイタリア人貴族の表現主義絵画のコレクション(市に寄贈)が現在の収蔵品の核になっている。同じ市内にはドイツ有数の人気美術館「州立美術館 STTAGTSGALERIE STUTTGART」もある。規模も違うし、うまく棲み分けしていると言っていたけど、かなりの対抗意識があると見た。

昨日の朝食は超粗食でした。昼はデパートのレストランで野菜系ビュッフェ(これで3ユーロくらい。安い!)。夜はパキスタンディナー(写真なし)。カフェテリアに下りてみるときれいにテーブルセッティングされていて、着席のちゃんとしたベジタリアンメニューのディナーだった。カレーがとてもおいしかった。今日の朝昼は、茹でた塩豚とジャガイモのパスタ。塩豚の茹で汁でジャガイモとパスタを茹でて豚肉と合わせた。食べる前にバター少々としょう油を少しだけたらす。塩豚はかなり良い感じの熟成具合でした。夜はまたジャガイモ料理。まとめて3キロも買ってしまったので頑張って食べないと芽が出てしまう。薄切りのジャガイモ(水にさらす)、タマネギ、ベーコン、刻みトマトの重ね蒸し焼き、最後にモッツアレラチーズで仕上げ。これは誰がつくってもおいしいはずです。


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by �������� (2005-05-13 21:35) 

おおしろ

うっ……。耳の痛いお言葉……。
それはともかく、わたしも中島敦は好きです。
by おおしろ (2005-05-13 21:37) 

みやざき

以前バイトでお世話になったみやざきです。
現在はライター業を細々と営んでいるのですが、
今回のテキストは胸に刻んでおこうと思いました。
あと、マイミクのリクエストを出すので宜しくお願いします!!
by みやざき (2005-05-13 22:49) 

hsba

やや、遠い星からのメッセージのようなコメントが……。We are not alone!

おおしろさん、ぼくは中島敦がホントに好きで、教科書に載っていた山月記はほとんど暗唱できるくらい読み込みました。昔の人は教養があったんだな。喘息で死んじゃうあたりも、同じ喘息仲間としては親近感が……こういう場合は親近感って使わない?

あー、みやざきくんだ。元気ですか? 顔色は相変わらず悪いのだろうか。S編集長がよく「みやざきくんに肉を食わせろ」と言っていたことを思い出す。それから滅多なことで胸には刻まないように。ライター業がんばってください。
by hsba (2005-05-15 05:58) 

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