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デザイナー不信のきっかけ/游女の都市/ラストディケイド [デザイン/建築]

今日は外出した時、カメラを忘れて写真を撮ることができなくて、今日のブログはお休みにしようと思っていた。でもさっき、なっぺさんからいただいたコメントに返事を書いていたら、またもや際限なく書いてしまいそうだったので、やっぱり今日の分を書くことにする。テーマは建築家とデザイナー。若手建築家の仕事を手放しで褒め讃えるような恥文を自分のブログで書くはずはなく「おまえはバカだろう」と感じたことを思い出しながら書いてみる。一つは1990年の展覧会のこと。もう一つは1999年のテレビ番組。思い出すだけで、本当にアリエナイザー(by きっこの日記)。

まずはテレビのほうから。その番組というのはNHK教育テレビで放映されたETVスペシャル「建築家バトル」。ウェブで調べた資料によると1999年11月6日の放送になっている。この番組は、当時めきめきと頭角を現していた東西の若手建築家3チーム(アトリエ・ワン、遠藤秀平、みかんぐみ)が、与えられた敷地に「エコロジー・ハウス」を設計して番組の中でプレゼンテーションを行うというものだった。評者は建築家の伊東豊雄、画家・作歌の宮迫千鶴、そして環境問題の権威、池内了の3氏。結論から言うと、ぼくはこの番組を見終えてすごく悲しい気持ちになった。建築家3者は「エコロジー・ハウス」という響きが持つ、ちょっと野暮ったいステレオタイプのイメージをいかに払拭するかに腐心しているように見えた。しかし、そんな真面目な努力も設計案のプレゼンテーションですべてぱぁ。
放映時、関西の若手建築家のホープだった遠藤秀平氏は、当時からコルゲートパイプを使ったユニークな建築で知られていた。でも「エコロジー」で「ハウス」の提案にコルゲートはないよな……と思っていのに、なんとここでも得意のコルゲート管住宅を提案してしまった(コルゲートパイプ→ http://www.n-kenzai.co.jp/product/d1/d1_2.html)。結局、なんだかんだ言って自分のコルゲート・スタイルをテレビで売り出したいだけなんじゃん、とその時は思いましたね。だから、それがいかにエコロジーでハウスであるかをどんなに説明しても、ぼくには、どうやって無理繰り「コルゲート」を今回のテーマに引き寄せるか、その言い訳にしか聞こえなかった。もちろん本人は真面目に取り組んでいたとは思うので、これはあくまでぼくの私見です。お間違いなく。

遠藤秀平氏は今や海外でも有名な若手建築家で、ベネチアビエンナーレを始め国際的な受賞歴がそれを物語っている。作品集はシュツットガルトの建築系書店でいちばん目立つところに並ぶくらい注目の建築家だ。しかし、しかしである。そのテレビ番組を見ててぼくは思わずつぶやいてしまった。「おまえはバカだろう」(もちろんバカではない。誤解ないように)。内容をもっと詳しく書きたいところだが、他の2名の提案は残念ながら記憶にも残っていない。バトルという勇ましいタイトルが付いていた割には「今回は勝ち負けなし、じゃんじゃん」みたいな府抜けた終わり方だったと記憶している。この番組は結果的に、ぼくの目には若手建築家のダメぶりが強調されただけで何ものも残すことなく終わってしまった。よくこんな番組を放送したものだ。評者の宮迫千鶴さんは番組中、建築家は新しい時代を拓く職業でもあるのに、これでは何の未来も見えてこないと悲しそうに嘆いていた。それに対して、若手建築家に代わり伊東さんが冷や汗ものであれこれ弁明してたのが印象的だった。そんな伊東さんもコメントは「建築家側」に寄り過ぎて少々腰が引けていたように思う。池内さんはただ呆れていただけだ。宮迫さんは遠藤氏のコルゲートパイプの住宅案を見て、「こんな家に暮らして家族は幸せだと思うかしら」というコメントを残した。ぼくもまったく同感。思わず膝を打つとはこういうことだ。しかしこれが、いわゆる「建築界」のロープの内側での試合だったら、工業部材を流用した意欲的な住宅の提案と讃えられていたのだろう。門外漢だらけのリングで残念でした。
確かにわずか1時間の放送で三つの提案をしっかり紹介するのは難しい。きっと建築家が考える時間も少なかったのではないだろうか。しかしそれを差し引いてもあまりに酷かった。何度も書くけど、ぼくのいい加減な記憶を頼りに書いているので正確ではないかも知れない。この番組ではたまたま遠藤案の印象が強く、それしか覚えていなかったのでそこに集中して個人批判みたいになってしまい少々心苦しい。このままではバランスがとれないから遠藤秀平氏のウェブサイトを紹介しておきます。
※遠藤秀平建築研究所 http://www.paramodern.com/

後日、宮迫千鶴さんにお会いする機会があり、その番組の話をしたことがある。本当はもっと辛辣なことをいっぱい言ったのに、当たり障りのないよう編集されていたとおっしゃっていた。もっとすごい事を言っていたというわけか。頼もしい。あえてきれい事を言えば、住宅を設計する建築家は、施主の理想とする住宅を具現化するのが仕事だと思う。本来は施主の頭の中にある住宅をそのまま建てればいい。もし施主の理想に勘違いがあれば、プロとしてより良いものを提案して納得してもらえばいい。しかし、施主の希望に応じているように見せながら巧みに自分のやりたいスタイルへと誘導して、自分のポートフォリオや建築雑誌のカラーページを飾るための住宅を建ててしまう人もいるようだ。どんな敷地でも、どんな家族構成でもいつも同じスタイル、同じ素材、同じ構造の住宅を建てる住宅建築家もいるではないか。もちろん施主が気に入って、そのスタイルと同じ建築設計を頼んでいるなら仕方ないけど、心ある建築家なら「あれは各々然々の条件だったからああいうスタイルになったわけで、あなたの条件にそれを適応するのは難しいですよ」くらいのことは説明しているものと信じたい。
もう一つの問題は、施主(生活者)が自分の理想の住まいを思い描く想像力に欠けることだ。どんな家が自分には相応しいのか。それ以前に自分はどんな暮らしをしたいのか。多くの人はそんなことを真剣に考える教育や訓練を受けていないので、自分にとっての理想のライフスタイルを考える力が欠落したままの人が少なくない。「ELLE DECO」とかを見て、文化圏や生活環境のぜんぜん違うロンドンのクリエーターの住まいに無批判のまま憧れたりしてしまう。そんな人にも「おまえはバカだろう」と言いたい気分だ。考えることは確かに面倒くさくて大変だけど、自分の暮らしのことなんだからちゃんと考えてほしい。いきおい想像力のない人たちは建築雑誌や住宅メーカーのカタログを見て「選ぶ」しかない。本来「モノ」というのは「思想」に「質量」が伴ってできるのだが、肝心の住まいの思想がないから建築家も「モノ」にしようがない。「バカとハサミは使いよう」と、そんな施主を丸め込んで、建築家の野心のままに「意欲作」を建てられてしまう。質量だけの家。そんな悪循環もあるような気がする。

もう一つの呆れた話は1990年に行われた二つのデザイン展だ。未だにしっかり覚えているのだから、その呆れ具合の根深さも分かるというものだ。あの頃はインターネットも普及していなかったし、建築雑誌のオルタナティブはなかったので正面から批判する人もいなかった。というより、当時は「デザイン」は批判の対象にもなっていなかったのかも知れない。誰も何も言わないのを良い事にいい加減な展示をする「インチキ・デザイナー」がいたということだ。二つの展覧会はいずれも大勢の建築家、デザイナーなどが参加したグループ展。一つは「游女の都市建築展」(東京での開催は「コイズミライティングシアターIZM」)で、もう一つは松屋銀座で開催された「ラスト・ディケイド1990 デザインのサンプリング」だ。
ぼくは「游女の都市建築展」にはものすごく期待していた。遊女というのは遡れば流れの民で、定住を否定したもっとも非都市的存在の象徴だ。はたして「非都市的象徴」と「都市」という概念をどう結びつけるのか。難問だけど考えがいがありそうなテーマだ。ぼくの大学での専攻は近世江戸文学で、卒論も遊女について書いたくらいだから、今日のデザイナーがデザインや建築によってどう両者をつなぐのか興味があった。しかし内容はまったくのスカだった。ガンツ先生ならずとも「0点」だ。建築家やデザイナーたちは、分かったような分かっていないような、人をはぐらかすコメントを例によって小難しい言い回しで添え、たいていはテーマとはまったく関係のない近作の模型などをアクリルケースに入れて展示していた。実に恥ずかしい話だ。「この人は少しは真面目に考えて出品している」と思ったのは建築家鈴木隆之だけだった。
一方の「ラスト・ディケイド展」のほうは、評論家の柏木博さんが全体を取りまとめていたように記憶している。21世紀まで残り10年……みたいな言葉が展覧会企画概要の中にあった気がするけど、趣旨を詳しくは覚えていない。いずれにしてもこの二つはまったく内容の異なる展覧会なのだが、いずれの展覧会にもほとんど同じ作品を出品していた反則デザイナーが一人だけいる。趣旨が違うのにどうして同じ作品を平気で展示できるのだろう。もう本当にアリエナイザー。当人は恥ずかしげもなく朝日新聞夕刊に「游女の都市建築展」を紹介するコラムまで執筆していた。そのデザイナーの展示作品のプレートには「游女の都市という概念が、都市を変えていく……と思う」みたいな、短い一行コメントがあっただけだ。勝手に深読みしようと思えば深読みもできるだろうが、実際はまったく中味がない空っぽなコメントだ。その時ぼくは確かにこう思った。「おまえはバカだろう」。展示作品はアクリルを使った確かに美しいオブジェではあったが、「游女の都市」のためにデザインしたものを「21世紀まで残り10年」の展示にも使い回すとはいかがなものか。それを取材してありがたく掲載している雑誌もあった。編集者の目は節穴か。このさいアリエナイザー・デザイナーの名前を3/5だけ挙げておく。渡×妃佐×氏だ。ちなみにアリエナイザーというのは、地球の常識ではありえない不可思議犯罪を働くエイリアン犯罪者のことらしい(「特捜戦隊デカレンジャー」より)。

あの頃、もしぼくがメディアを持っていたら、そんなふざけた出展者をちゃんと批判することもできただろう。当時ぼくが在社していたのは店舗デザインの専門誌で、それなりに批判精神はあったけど業界を敵に回すような記事には自己規制があった。渡×さんがもしこのブログを読むことがあって、これが自分のことと気がついたとしても、今頃15年前のことを批判されても反論のしようがない。だから一方通行で申し訳なくも思うが、でも言い忘れたまま年老いていくのはやっぱり嫌だ。今も心の片隅に残るぼくのデザイナー不信は間違いなくこの人から始まっている。

このまま終えると後味が悪いので、ゴハンネタと買い物ネタを一つずつ。前に塩豚を茹でて少し失敗したことを書いたけど、今回はしっかり熟成させたので大成功。ラップから出してナイフで半分に切ると切り口が生ハムのようにつやつやしている。半分はスライスしてフライパンで焼いてみた。香りは最高だがちょっと塩っぱい。残りの半分は、水、日本酒、昆布出汁で炊いてみた(出汁はとろろ昆布を使いコーヒーポットで抽出した)。これはすごくおいしい。火が通った豚肉をスライスして再び茹で汁に戻して、コショウで味を整えてスープにした。事前に油や筋を丁寧に取り除いて仕込んだので本当にハムみたいでした。同時に仕込んだ残りは2日後に食べる予定。さらに今朝も買い置きの肩ロースブロック500グラムを、筋と油を除いて塩漬けにしておいた。買い物はチョコレートとメモパッド。メモパッドは昔遊んだお絵描きボードのように、固いスティックを使って粘着ボードの上の半透明のシートに絵を描き、スライドすると消える玩具と同じ仕組み。いつもは気がついたメモはポストイットに書き留めるのだけど、すぐに捨てることが多いのでこれを買ってみた。あと今日はマーク・タンジー Mark Tansey の展覧会も見に行った。これはすごく面白かったのでそのうち改めて紹介したい。http://www.artcyclopedia.com/artists/tansey_mark.html


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花野 蕾

 はしばさ~ん。

 またまた、遊びに来ました。写真を見ていると私までお腹がすいてきました。

 ゴハン食べてきます。

 はしばさんも、体調には気をつけてくださいませ。

 では、また
by 花野 蕾 (2005-05-11 19:47) 

hsba

花野さん、コメントをありがとう。この前、エスカルゴ食べてましたね。うまそー。確かに「美味しいモノ」は秒速で人をハッピーで満たす地上最強最良のクスリだと思います。美味しいモノを食べていれば心を乱されることもありません。仕事でミスをするのも、人間関係がこじれるのも、わけもなく悲しくなるのも、ちょっとしたことでケンカするのも、美味しいモノが足りない禁断症状ではないかと思う今日この頃です。
by hsba (2005-05-12 09:08) 

はじめまして。
私は建築の設計を生業としているものです。
すごい内容です。しかし、ありがたいです。
建築のデザインの世界は非常に閉鎖的、仲良しクラブになってしまいそうなのです。社会に認知されにくい人々となってしまっているのです。たくさん使われているものが良いものという考えが根強く残っているからです。私がデザインしましたとサインされているものなど少数です。
何しろ、物が成立する過程においてかなりの経済的な要素が入り組みます。
数千万円というお金が動きますし、実際にカタチにしていく作業を担っている建設会社は儲けだ利益率だに支配されています。設計者(建築家)が意欲作を企てているうちはその建物にも未来はありますが、”この方法はうちの会社が儲かるからオーナーにとっても良いものです”となったらもう最悪です。
設計者はデザイナーというよりはエンジニア的要素も持ち合わせていますからいつも使い慣れた自分の方法(材料)を用いなければならないこともあります。
僕らが設計した建物が100年以上残って「××の民家」といって紹介されるかどうかはわかりません。しかし、昔からの寺社建築に使われていた材料を用い人間本位に立ち帰って行こうとしている人もいます。
いずれにしても自分の業界以外の方が関心を持ちつつあるのは歓迎すべきと考えています。
by (2005-05-22 13:35) 

hsba

ヒゲボーズさん、はじめまして。確かに建築家はエンジニアでもあり、一つの工法や素材、あるいは特定の施設設計などに特化した建築家もいますね。施主の利益と施工者の利益は往々にして対立することがあると思うので、建築家は中立の立場でその調整役も引き受けなければならない、考えてみると大変な仕事だと思います。住宅の善し悪しがその後の施主の人生を変えるかも知れないし。しかしぼくは今年のミラノで日本人の若手建築家のあまりに身勝手な話を聞いて、未だに「建築家先生」みたいな勘違いもいるんだなと驚きました。いったい何が彼の「わがまま放題」を助長しているのでしょう。メディアの責任も大きいと思いますね。最近の雑誌やTVの建築特集を見ると「声がでかい」建築家ばかりが採り上げられているような気がしてなりません。こんなに多様な情報を得やすい時代なのに結局「声がでかい」人が注目されてしまう。静かに、小さくても大切な仕事をしている建築家もたくさんいると思うのですが。それをちゃんと評価できない市民やメディアが情けないです。やっぱり教養というのは大事だなと思います。
by hsba (2005-05-22 21:14) 

むらむら

はじめまして。
今さらですが、タイトルに誘われて読んでみました。
99年のテレビ番組、あれは非道かったですね。ほんと。
遠藤さんが最悪だったのも仰るとおりですが、あのお題に対して、塚本+貝島さんも、いちばんまともそうなみかんぐみさえも、こんなプラン、回答を持ってきたら、及第点どころか落第だよなーと思いながら見たことを思い出します。
確かに歴史的にヒドイと思える番組でした。いま、ふつふつと思い出してしまったので書き込んでみたところです。。。。だいたい、あの人たち大学で教えたりしてる人も…。こんな先生に教えられる学生はたいへんだ、と思いましたね。

まぁそれはいいとして、環境とか、環境共生とか建築家もいまはお題目のように発言されますが、その定義ってどんなもんなんでしょうか。環境=エコロジー的な側面だけじゃなく、「敷地周辺の環境も考慮し…」みたいな用語の使い方をしますが、この場合「2階建てが多い」「落ち着いた住宅街」「屋敷林がある」みたいな定性的な景観みたいなことを指しますよね。
外国語ではこの「環境」ってもっと細分化した言葉の捉え方をしてるんじゃないかと思いますが、環境建築先進国、ドイツではその辺りどうなんでしょうか?
by むらむら (2005-07-25 19:01) 

hsba

むらむらさん、初めまして。あのテレビ番組を覚えている方がいたとは……。出演した建築家の方々にとっては消したい過去の一つでしょう。たぶん。
ドイツはご存知のとおり都市部ではジードルンクと呼ばれる集合住宅が生活の場です。都心でもかなりの人が暮らしているようで、そういう人たちは都市緑地というインフラを利用して生活しているわけですが、郊外の戸建て住宅を見ると庭が必須のようで、その庭がグリーンのネットワークを形成しているという印象を受けます。とにかく南ドイツの人は森や緑が大好きなので、そういう志向が結果的に「環境共生」みたいな姿になっているのではないでしょうか。これはぼくの印象なので、本当はちゃんとした定義があって、インセンティブなんかもあるのかも知れません。そのうち調べてみます。ドイツは環境先進国という印象がありますが、実際に暮らしてみるとエコロジーの意識もそんなに強制的ではなくて、それでもリサイクル可能なものは回収のシステムがしっかりできているので、それを利用していると、これまた結果的に「エコロジー」という感じですね。そのうち記事にまとめたいと思っています。
by hsba (2005-07-29 11:32) 

sumiya

はじめまして。たまたまこのブログに出会いました。前にお一人いらっしゃいましたが,私も建築設計を仕事としています。雑誌に登場する事務所にもいくつか行ったのですが,頭に来て早々に逃げ出してばかりです**なぜって、人が生活する最も基礎となる所を作る仕事なのに,それを提案する張本人がまともな生活ができていない。昼間は働かない頭でだらだらと仕事をし、夜は終電までいないと建築はできない、などという訳の分からない雰囲気,自分の住居では寝るだけで,翌日またぼーっとした頭で効率悪く仕事する、という全く悪循環な有名事務所が何と多い事でしょう。写真だけはきちんとしたものを取ってこい,と大声で張り上げ所員に詰め寄る先生も少なくない。実家が近くにでもなければとても生きては行けぬ金額で大いばりの先生にこき使われ,それでも「ビッグ」になりたい人は目やにをため,ふけをため,クマ付きのどす黒い顔で施主との打合せに向かう。そんな自分の生活もきちんとできない人に,どうして他人の生活の場を提案できるんでしょう。有名なもの,皆が知っているものに弱い我が日本人故結局こんな設計者が生まれてしまうのでしょうが,本当にいつも腹立たしい!

後味悪いのでまねして、フランスに居た頃の和食レシピネタをいくつか。
豚のさっぱり煮。ミツカン酢の首に昔ついてたレシピです。酢、醤油半カップずつ、水1カップ,ショウガ一片皮ごとスライス,ニンニク2片つぶしたもの、砂糖大さじ6!を鍋で一煮立ち,豚の固まり肉(3-400g程度)をそこに入れます。後は中-弱火で約50分。最後の方はこげやすいので,もし水分が少なくなって来たら水を少し加えます。できたら豚をスライスして,短冊切りにしたキュウリやセロリの上に汁ごとかけて出来上がり。ものすごいご飯がすすむ日本人人気メニューでした。ゆで卵を一緒に入れて煮卵にするのもおいしい。
それから食材利用で,中国人街で買えるコリアンダー、もし苦手でなければあれをお味噌汁の具にすると三つ葉のような香りでとても美味しいです。私はわかめと一緒に入れてよく作っていました。飢えますよねー、日本食。参考になるかしら。
これからも記事楽しみにしています。
by sumiya (2005-08-02 13:03) 

hsba

sumiyaさん、コメントをありがとうございます。確かに自分の暮らしがちゃんとできない人に、他人の暮らしの基本である住宅を提案するのは難しいですよね。「先生」建築家の設計事務所の環境も、書かれた通りだとすると悲しい限りです。たぶん、情報が今日のように充実していない時代は、情報や知識がある人がない人に何かを提供するという、情報格差を使った商売が多かったと思うんですよ。でも今や消費者のほうが企業より情報をたくさん持っている場合もある。でも建築に関しては、未だに「先生」が何も知らない施主を丸め込むような印象があって(そんな建築家ばかりだとは思いませんが)、ちょっと時代に合わないようなところも見受けられます。「住まいづくり」や「デザイン」が特別なことではなく、与えられるものでもなく、自分自身で考えなければならないことを、生活者はもっと自覚してほしいですね。それより、レシピをありがとうございます。こちらは肉はブロックでしか買えないので、スライス肉中心の日本の料理本のレシピに適わず、悩む事が多かったので、こういう情報はありがたいです、さっそくつくってみます。
by hsba (2005-08-03 09:10) 

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