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ルドルフ・シュタイナー/姿三四郎 [生活雑感]

忙しい時に限って、面白い読み物に出会してしまう。

以前はいくら読んでもアタマの中を素通りだったルドルフ・シュタイナーの著書が、今は、真夏の鉢植えが水を吸い込むように、ぐんぐんと体の中に入ってくる。やれやれ、今頃になってやっとだ。今夏、シュタイナー学校の取材を通して、体の中にシュタイナーについてのリアリティの核ができて、それに「言葉」が付着し始めたのだろう。ドイツ生活体験の影響もあるのかも知れない。せめて20代の頃に、今みたいにシュタイナーとしっかり向き合いたかった。ぼくの場合はいつも遅れている。常に年齢相応の教養やコメント力を追いかけていて、追いついたと思った瞬間に、ウサギは違うもの、例えば鳥になって飛んでいってしまう。昨日知るべきだったことを今夜やっと知る日々。「一生を一間足りない家に住み」という川柳があるけど、まさに、常に何か足りない生活を死ぬまで送るのだろうか。


シュタイナーは、過去と現在の人生には、内部に「未来」を含んでいると語っている。

「人生全体は植物に似ている。植物は眼で見ることのできるものだけなのではない。その内部の隠された深みには、未来の状態も含まれている。新緑の葉をつけた植物を眼の前にする人は、しばらくすれば、葉をつけた枝から花が咲きいで、そして果実が実るようになることを知っている。そしてその植物は、現在すでに眼に見えぬところで、潜在的に、そのような花や果実を含んでいる。しかし、現在の眼に見えるものだけから植物を研究しようとするとき、一体このような花や果実の姿を言い当てることができるだろうか」(1907年、「霊学の観点からの子どもの教育」より。高橋巌訳)。

人間の場合も、未来の花と果実は潜在的には既に存在している。子どもの頃は、植物を育てたこともあったのに、そんなことは自覚せず、意識もされずに40代半ばまで生きてきた。その結果が今の体たらくなわけで、自分自身の花や果実が何であるのか、自分自身へのわずかな興味と探究心があれば、自分の生き方もずいぶんと変わっていただろうと思う。

ベランダのラベンダーの鉢植えに、ゼルフィス(ルリシジミ)が飛んできて、葉の上で休んでいる。家の周囲には連続したグリーンはないので、蝶が舞い込むのは珍しいこと。風で飛ばされてきたのかも知れない。

今日も黒澤明の映画を観た。最初の監督作品「姿三四郎」。ウルトラセブンのヤマオカ長官役だった藤田進氏が姿三四郎を演じていた。藤田氏の朴訥とした演技と雰囲気が、イノセントな希代の格闘家の人柄によく合っている。たぶんこの時の配役が、その後の姿三四郎のイメージを決めたのではないか。映画は文句なく面白い。黒澤明ってスゴイ監督だったのだと思った。無敵の姿三四郎と闘うことになった年老いた名柔術家の娘が、神社で父の無事を祈っている。その神前の姿が美しい。なぜ美しいのか。それは捨身の行がなす技で、自分の全身全霊を何者かに捧げようとする美しさには、どんな武術もかなわないと、師は三四郎に説く。姿三四郎の柔道は、その美しさに勝らなければならない。彼はそれを乗り越えていく。明治の武道家は哲学者だったのだ。さりげないラストシーンがまた良い。格闘技映画としても面白い。しばらくは黒澤映画を見続けることになりそうな予感。

姿三四郎

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  • 発売日: 2002/10/25
  • メディア: DVD



坊ちゃんの時代―凛冽たり近代なお生彩あり明治人

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  • 作者: 関川 夏央
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  • メディア: 単行本


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こんにちはです、北海道の hnberg です。
シュタイナーのお話、すごく興味深いです。nice! × 100 です。

ぼくの勤務先は公立高校で、お役所っぽい縛りがたくさんあって、なかなか
独創的な授業ができませんが、隠れシュタイニストとして日々はげんでおります(笑い)。
うちの生徒は、学校を出たらすぐにきつい仕事につくので、お勉強よりも、
「なぜなんだろう? どうしてなんだろう?」と問いかける力を身につけさせて
あげたいなと思っています。
by (2006-08-16 17:19) 

hsba

hnbergさん、コメントとnice!ありがとうございます。
北海道にはなぜかシュタイニストが多いような気がするんですけど、気のせいでしょうかね。藤野でお会いした高等部の先生も北海道教育大を卒業した方でした。シュタイナー教育の研修会には、一般高校の教師の方も大勢参加するようになり、普通科の授業の中でどう活かしているか、報告会も行われていると聞きました。

数年前に「生きる力」を育てることが小学校の教育の現場に下りてきた時期がありました。ぼくはその頃、仕事で子ども向けのワークショップのプログラムを考えていたのですが、「生きる力」って何なのか、あまりに漠然としていて現場の先生が困っていたことを思い出します。「声に出したい……」の齋藤先生は論文の中で、小学生にとっての「生きる力」とは、段取り力、コメント力、模倣する力だとスパッと切り分け、なるほどなあと思ったりしました。それが、ぼくが初めて「教育」というものを意識した時です。
by hsba (2006-08-20 00:50) 

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