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未来都市サラエボ [旅/ホテル]

深夜の路地裏でノラネコのケンカが終わり、静かに雨が降り始める。

イビチャ・オシム、1941年サラエボ生まれ……。
そっか、オシムってサラエボ出身だったんだ。

「サラエボサバイバルガイド」(邦訳「サラエボ旅行案内」)という本が出版されたのが1993年。それから10年経ったサラエボの町を、このガイドブックで歩く企画を「LIVING DESIGN」という雑誌のために考えた。当時、ぼくはこの雑誌のチーフエディターだった。しかし実現しないまま離職。その後は「Luca」という雑誌の編集人になって、やはりこの企画を提案した。でも、ここでも何事も起こらないまま、雑誌は休刊となる。やがて時は過ぎて「10年後の」というキャッチーな言葉は使えなくなり、もし今やろうとしたら「13年後の……」なんて、中途半端なタイトルになってしまう。だからというわけではないが、何がなんでもやっておけば良かった、あの時に。

十数年前のサラエボがどんな状態だったのか。知っている人は多いと思うけど、忘れてしまった人も多いかも知れない。ぼくはニュースや本で読んだだけだから、実際には本当のことは何も知らない。「サラエボ旅行案内」の和訳を手掛けたのはP3 art and enviroment。その代表者の芹沢高志さんが、この本の著者のFAMAを主宰するスアダ・カピッチさんの話を以下のウェブサイトに「サラエボに見るサバイバル・テクノロジー」というタイトルでまとめている。
http://hotwired.goo.ne.jp/matrix/9801/text_only/survival_02.html

1984年、サラエボは共産圏で初めて冬季オリンピックが開催された町だった(当時のメインスタジアムは紛争で破壊され現在は墓地になっている)。それから数年後の1992年春、民族意識の高まりや隣人に対する疑心と憎悪が臨界点に達し、戦火がユーゴスラビアを引き裂いた。サラエボにはクロアチア、セルビアの軍隊が侵攻し街を包囲。サラエボ市民は敏感過ぎるスナイパーたちと毎日を暮らさなくてはならなくなる。その状況を想像できるだろうか。バケツを持って水を汲みにいくだけで射殺されてしまう日常生活。おそらく、人々は極端に刹那的になって、倫理観や道徳心でつながっていたモノは簡単に切り離され、都市生活自体が崩落してしまうような日々だったはずだ。しかし、破壊が続く町で、サラエボ市民はその日常を生きていた。大学は授業を止めず、シアターでは芝居を続け、図書館も閉めなかったという伝説がある。本当だろうか。彼らにとって最後の砦は「都市文化」だったのではないか。おそらく、文化こそ人々が人間らしく生きる糧なのだ。ぼくはそれを確かめに行きたかった。不遜ながら戦渦の爪痕や紛争問題はもっと立派なジャーナリズムに扱っていただくとして、文化というサバイバルツールを探す旅をしたかった。

「サラエボ旅行案内」の著者、FAMAは旧ユーゴ時代にサラエボで設立されたフリーランスのTVプロデューサー・グループ。芹沢さんが書かれたサイトの文章によると、FAMAはサラエボが包囲されると、この街に残ったアーティストや文化人、その他の人々と協力して、文化的抵抗を開始したのだと言う。FAMAは民族浄化、暴力による単一化に抵抗し、「文化のサバイバル」を主張してさまざまな活動を始めた。スアダさんは「サラエボ旅行案内」と当時のサラエボについてこう語っている。以下、芹沢高志さんが書かれた 「サラエボに見るサバイバル・テクノロジー」より抜粋。芹沢さんがスアダさんを日本に招いたのは1994年11月。「」内はスアダさんが語る1994年当時のサラエボの話

「第一は、民族浄化というとんでもない攻撃に対する、サラエボ市民の文化的抵抗の記録。第二に、これは未来に対するメッセージなの。サラエボはSFじゃないわ。今、ここの現実であり、私たちの可能な未来のひとつなのよ。第三は、文字通りのガイドブック。サラエボで生き延びたいなら、どうやって飲み水や食料を探すのか、どこに危険があるのか、そういったことを知らなければならない。(中略)サラエボ? 映画の『ターミネーター』の世界よ。子どもたちは、砲弾のなかでバスケットボールをやっているし……。ああ、でも、同情は禁物。だって、サラエボは未来なのよ。そう、私は未来から来たの。(中略)サラエボは、だから、人類社会のモデルなのよ。未来に関する、モデル都市。ここで未来が開けるなら、人類にも希望があるわ」

抜粋転載、以上

ぼくは「LIVING DESIGN」という雑誌製作を通して、「暮らす」とは何かをいつも考えていた。ぼくたちは往々にして暮らしに対して無自覚だ。とりたてて思想も持ち合わせていない。ライフスタイルがない。だから赤子の手を捻るがごとく、ブームに煽動され、「北欧風」だとか「アーリーアメリカン」だとか、ぼくたちの精神風土と地続きと言えないようなスタイルをありがたがり、無批判のまま取り入れていく。「暮らす」とは何か。「暮らす」ことに必要なものは何なのか。住宅と社会保障とガス、水道、電気があれば「暮らす」ことができるのか。都市インフラが壊されたサラエボで、人々の暮らしが壊れなかったのはなぜか(もちろんぼろぼろに疲弊していたとは思う)。
ああ、本当にサラエボに行きたかった。できれば芹沢さんとスアダさんと一緒に、例の本を片手に町を巡りたかった。サラエボに開かれた未来に、「ぼくたちの希望」の秘密を探し歩きたかった。なぜ無理繰りにでも企画を通さなかったのだろう。「サラエボは未来」だというスアダさんの言葉がアタマから離れない。

調べてみると、サラエボが包囲された1992年春、イビチャ・オシムはベオグラードのサッカーチームの監督でユーゴスラビア代表の監督だった。その当時のエピソードは「オシムの言葉」の第四章に記されている。何を画策して「失言」したのか、川淵キャプテンの無礼と品格の欠如には開いた口が塞がらないが、それでもオシムが日本代表の監督を引き受けてくれそうなのはとても嬉しい。「シュワーボ、オスタニ!」。今、ジェフのサポーターたちは心の中でそう叫んでいるかも知れない。

サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイド

サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイド

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 三修社
  • 発売日: 1994/11
  • メディア: 単行本


オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える

  • 作者: 木村 元彦
  • 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 単行本



ウェルカム・トゥ・サラエボ

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  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • 発売日: 2005/11/25
  • メディア: DVD


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コメント 3

bambini

こんにちは。
サラエボといえば、ゴダールの『アワー・ミュージック』はご覧になられましたか?
日本では昨年公開されました。
『サラエボ旅行案内』、ぜひ読んでみたいと思います。
by bambini (2006-07-05 08:24) 

hsba

アワー・ミュージックはまだ見てないですね。痛々しい絵が多いって聞きましたが。まあ、それがサラエボの現実だったわけですけど。
by hsba (2006-07-14 20:01) 

Survivart

はじめまして。芹沢高志さん(P3)と住友文彦さん(東京都現代美術館学芸員)を招き、2007年12月15日(土)午後5時から横浜・ZAIMにて、トークイベントを行います。よろしければぜひご来場下さい。詳細はサイトをご覧下さい。
by Survivart (2007-12-11 22:33) 

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