屋根の上の猫 [美術/音楽/映画]
ノラネコがたまに公園の花をじっと見ていることがある。花を見ているのか、花に集まる虫を見ているのか。夕暮れ時に猫背の背中をいっぱいに伸ばして枝の花を見つめている様子を見ると、このネコの前世は花が好きな人だったのではないかと思ってしまう。ふと、人間の頃の言葉にならない記憶に支配されてしまう時があるのではないか、と考えてしまう。
仲間内でいちばん臆病なネコが、今も臆病のまま公園で暮らしている。
ボブテイルの運動神経の鈍そうなノラネコ。よそ者が来ると分かりやすく虚勢をはって、鼻息も荒々しく最初に立ち向かうけど、すぐに引き下がり、何ごともなかったかのように、立ち木で爪を研ぎ始める。いつも毅然とした態度をとろうとしているようだが、まわりのネコはすべてお見通しという感じだ。だから子ネコすらまともに相手にしない。とにかく間が悪い。このネコが来ると、他のノラネコまでぎくしゃくしてくる。ぼくの姿を見つけると面倒くさそうに近寄ってきて、ぐーっと伸びをしてから、こちらのことを気にしていない素振りで、わざと遠くを見つめている。たまにゴロリと横になる友情の仕草で、ぼくに一応気をつかったりする。ゴハンをあげても「オレ様は結構」という顔をするのだが、ぼくが立ち去ろうとすると、短いシッポを立てて、そそくさとドライフードのお皿に向かう。それが見つかるとあからさまに恥ずかしそうな様子を見せ「お腹が空いているわけじゃないよ。見てみようと思っただけ」と言い訳の目で見つめ返す。でもきっとぼくがいなくなってからカリカリ食べているのだろう。
同じ頃に生まれたネコはほとんど姿を消してしまった。どこに行ったのか分からない。旅に出て力尽きたネコや、冒険の途中で寿命を終えたネコもいると思う。生命力が強いとか弱いとかではなく、こういう臆病な、間の悪いダメなノラネコが、知らない間にすいすいと荒波を乗り越え、いちばん長生きするのかもしれないと思った。でも、それは実は希望的観測で、正直なところ、ぼくはぼく自身の、この歳になるともうどうしようもない性格や生き方を、このネコの姿に投影しているわけだ。やれやれ。
PANTA&HALの曲が聴きたくなって、YouTubeで探してみた。
マーラーズ・パーラーってこんな歌詞だったんだ。本当はもっと長い曲のはず。「夜に毒された路地裏に腐りかけた愛を見たとき,雨に満たされた軒先でオレは星がはじけ飛んだと信じた。階段の下で震えてた,ねずみが明日を見つめるように,時の流れに身を任せ,今日もぶらぶら電気の街を……」のところがカットされている(歌詞はこのWeblogを参照しました→ http://d.hatena.ne.jp/noraoff/20060114)。あと、このライブ(TVKの番組)では「そそくさと逃げ出したKCIA」とはっきり歌っていた。
マーラーズ・パーラー80
屋根の上の猫
Fighting 80
頭脳警察の名前の由来は、フランク・ザッパの「Who Are The Brain Police?」だそうです。
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