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外濠公園 [デザイン/建築]

夜、赤坂見附から神楽坂に向かう。
今夜のサントリーホール、ガブリエル・リプキンは怪我のため来日しなかった。

久しぶりに会う友人と神楽坂でお好み焼きを食べた。それからバーでお酒を少し飲んで、気がつくと時計は23時を回っている。飯田橋の駅から総武線に乗ろうと神楽坂を下り、外堀通りを渡って牛込橋を歩いていたら、急に外濠公園を散歩したくなり、訳もなく寄り道する。このまま市ヶ谷まで歩こう。外濠公園にはいろいろな思い出があるけど、どれも25年くらい前のことだ。左上が欠けたいびつな楕円の月が、公園の木の葉陰に見え隠れして、お濠の水面がクルマと電車の光を映す。こんな景色を前にも見たことがあると思ったけど、最近ぼくが外濠公園を歩くのは夜ばかりだから、前にも同じようなことを考えていたのだろう。この公園の遊歩道から眺めるお濠越しの光景は、なぜか25年前とほとんど印象が変わらない。

東京逓信病院を過ぎると、かつてその隣には法政大学の学生会館があった。公園の脇に公衆便所があるので、トイレ休憩のタクシーが何台か停まっている。2004年の小火がきっかけで学生会館は取り壊され、その跡地に真新しい法政大学外濠校舎が完成していた。1階になんとテナントでセブンイレブンが入っている。立ち寄って缶コーヒーを買う。店内に「法政大学校舎内での飲酒は禁止されています」と書かれた貼り紙があり、やっぱり時代は移り変わったのだと思った。20年以上前、ぼくは法政大学の学生会館でオールナイトで映画を観たり、インディーズバンドのライブにもよく出かけた。暗黒大陸じゃがたらとか、フールズとか、原爆オナニーズとか、町田町蔵とか、頭脳警察とか。その学館があった場所にぴかぴかなモダン校舎が建って、1階がコンビニで、大学で酒は飲むなとは、ホントに21世紀になったんだなと実感してしまう。
http://www.cicala-mvta.com/housei.shtml
http://blog.goo.ne.jp/red-rat-line/e/a79deda08ab2ab1bd1d181addc8615df

そのまま法政大学55年館を見に行こうと思ったけど、入り口の鉄柵が閉まっていてキャンバスに入ることができなかった。新しい外濠校舎と高層のボアソナード・タワーに挟まれて、あんなに気高く見えた戦後日本のモダン建築第一世代の名作が、肩身が狭そうに見えて不憫だった。やがてこの55年館も取り壊されるのだろうか。1955年はマックス・ビルが設計したウルム造形大学が完成した年でもある。この校舎はドイツの文化財に指定されている。一方、法政大学55年館は大江宏の設計だ。芸術選奨、日本建築学会賞を受賞している。

建築家の丹下健三と大江宏は、ともに1938年に東京大学を卒業した同窓生だった。戦前に建築を学び、1955年、42歳の時に二人はほとんど同時に、国際近代様式の設計で建築界で頭角を現す。丹下は広島平和会館、大江は法政大学55年館。大江宏の父上は、日光の東照宮など伝統的な日本建築の修復工事の大家で、明治神宮の営技師を務めた大江新太郎だ。しかし父の“日本的”な仕事に背を向けるように、大江はこのインターナショナルスタイルの近代的大学校舎を手掛けたのだった。大学の校舎と言えば、格調高い古典様式の、浮世離れした象牙の塔の象徴であったのに、大江が設計した法政大学は戦後の新制大学を象徴するような、過去の神話を断ち切ったモダン建築のスタイルを纏っていた。ビル大学が当たり前の時代になった今日では、この校舎を初めて目にした市民の驚きがどれほどのものだったのか想像ができない。竣工当時は屋上にHOSEI UNIVERSITYのネオンサインが灯り、総武線の車窓から見えるその建物は大学ではなくて、HOTEL UNIVERSITYだと思われていたという逸話もある。

その後の丹下と大江の二人の足跡は興味深い。丹下健三は大河で日本の現代建築を曳航し、その流れの絶対的な主人公となる。一方、大江宏の船は静かに、日本伝統の現代的な表現の模索へと旋回していく。大江が設計した1983年完成の国立能楽堂はその代表作だ。ぼくはこの建物も大好きだ。その3年後、1986年に実施された東京都庁建築設計コンペでは、丹下案が第一席となり都庁の設計者に選ばれることになる。新都庁舎は丹下健三の晩年の代表作の一つとなった。55年の同時スタートから少しずつ離れていった二人の距離。無国籍なモダニズム建築か、近代の基礎となった西洋の建築様式に倣うか、自分たちの建築の伝統か。どれかを選ばなければならないのか、いずれかを融合していくか。非西欧の建築家は迷いと可能性の砂漠を、自分たちで地図をつくりながら進んで行ったのだ。現在の建築家はどうなんだろう。「この両者(丹下と大江)の軌跡の間に、現代の日本建築の流れはすっぽりと収まってしまうといってもよいのである」(鈴木博之、NHK市民大学「空間を造る」1986年11月27日放送)。

法政大学のキャンパスは、ついこの前までは簡単な舗装だけだったのに、今は新しいオフィスビルの外構のように花壇や階段、回遊歩道が設けられていた。中核派のゲバ文字の看板も見当たらない。あの頃、ぼくは、隙あらばマルクス主義学生同盟のアジビラとか、国鉄のガード下に貼られていた日本愛国党のビラを剥がして持ち帰りたいと思っていた。左右それぞれのイデオロギーのアジ表現をフレームに収めて部屋に飾りたいなどと、酔狂なことを考えていたのだ。もちろん人目を恐れてビラを剥がすなんてことはできなかったけど。シャレでは済まない雰囲気があったから。
http://marukyo.cosm.co.jp/KANAGAWA/gewalt/gewa-1.html

再び外濠公園の遊歩道に戻りJR市ヶ谷駅を目指す。世界文化社を通り過ぎて空を見上げると、月がさっきより満ちている気がした。児童公園を抜けて信号を待ち、駅の改札へ急ぐ。今日は古い知人に偶然会ったり、昔のことを思い出したり、過去に引っ張られた不思議な一日だった。電車に乗る頃には、久しぶりに外でお酒を飲んだことも忘れていた。またいつか、一人で、夜の外濠公園を散歩する日が来るのだろうか。


建築作法―混在併存の思想から

建築作法―混在併存の思想から

  • 作者: 大江 宏
  • 出版社/メーカー: 思潮社
  • 発売日: 1989/08
  • メディア: -


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