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Tiara [食事]

神様はイタズラ好きだよね。
神が与えし試練って、半分くらいはその「イタズラ」なんじゃないかと思う。

渋谷駅の東急プラザ側の出口の上にはベルギーワッフルの屋台みたいな売り場があって、老若男女がいつも行列している。日頃ぼくは中野駅行きのバスに乗るためにその先の階段を下りることが多い。階段の手前には東急の立ち食いソバの店がある。その日の帰り道、小腹がすいたぼくは、ここでもりそばを食べることにした。ワッフルを焼く甘い匂いの中で食べるソバって何となく微妙、と思いながらぼくは一人でつるつるソバを食べてた。その真向かいにはスーツ姿の中肉中背50歳くらいのお父さんが、汗をかきながらかき揚げソバを食べている。そのオヤジはムダにまつ毛が長くて、広過ぎる額が特長だった。熱いソバを食べてるからだと思うが、男はかなり汗をかいていて、片手には常にハンカチ。そのハンカチで額をぬぐった瞬間、この小さな事件は起こったわけだ。

男が水を飲み、ハンカチで汗を拭いた後、どういうわけか額にソバが一本だけぴたっと貼り付いてしまったんだな。なんだか手品みたいだった。おそらくハンカチに付いていたソバが、そのまま額に移動したと思われる。それもソバの破片じゃなくて立派な一本ソバ。ある意味、ティアラ。

ぼくは「あっ」と思い、箸を置いて「あのー、額にソバが付いてますよ」と声をかけようと思った。でも言葉にしようした瞬間、何かが弾けて自分の顔にある穴という穴のすべてから、今食べているソバがぶっひゃーと逆流する感じがして、その時は「やばいやばい……」と、いろんなモノと一緒にぐっと言葉を飲み込んでしまった。それからぼくはうつむいたまま、悪魔の追跡を振り切るように一心不乱でひたすらソバをすすった。もう余裕がゼロ。いつもなら全然おかしくないことも、なぜか笑いの琴線に触れてしまい、火薬庫の中で焚き火してるような気分。あの男はハンカチで汗をぬぐい続けていたので、きっと何かの拍子にぽろりと落ちるんじゃないという希望もあった。しかし時々顔を上げて男を見ると、残念なことに、ソバは頑固にも額に貼り付いたままで、ハンカチでぬぐうたびにウミヘビが斜めに泳ぐみたいに、にょろにょろと移動するだけだ。危ない。ぼくは自分のもりそばを早く食べ終えて、押し寄せる笑いミサイルを一つ一つ撃ち落とし、呼吸を整え平静を装い、

「あのー、(信じられないかも知れませんが、あなたの)額にソバが……」

って言うつもりだったんだけど、顔を上げてみると、やれやれ、その男は丼にソバを少し残したまま楊枝をくわえてそのまま無言で店を出てしまったわけさ。たぶん額にはソバが一本。ハードボイルドだぜ、まったく。あの後、誰かに言われて気がついたのか、トイレの鏡で知ることになるのか。もし鏡に映った姿で気がついたなら、その時アタマの中にはどんな歌が流れたんだろう。

ぼくは彼に、あの時すぐに「額にソバ」って言えなくてゴメンなって、伝えたいです。
世の中には自分の意志に関係なく、期せずしてテロリストになってしまう人もいるかも知れない。前歯に青海苔は日常風景だけど、額にソバはシュルレアリスムです。

孤独のグルメ

孤独のグルメ

  • 作者: 久住 昌之, 谷口 ジロー
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2000/02
  • メディア: 文庫


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