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インターネット小売業について [その他]

2001年秋、都内のとある場所でレクチャーした「Eコマース」についての原稿を発掘。
もう5年以上前の話だけど、その頃はネットビジネスについていろいろ考えていた。備忘録代わりにアップします。 小一時間のレクチャーだったのでけっこう長いです。


ネットのコンテンツとコミュニティについて

雑誌「LIVING DESIGN」は、2001年春に発行した15号で「PRODUCTS2001」という特集を組みました。これは簡単に説明すると、プロダクトと私たちの暮らしの関係を、改めて考え直すことを趣旨とした特集でした。

私たちの日常生活と工業製品は不可分であると言っていいでしょう。20世紀に開発されたさまざまな生活関連製品は、私たちの暮らしを豊かにして、時には生活の楽しみを与えてくれました。私たちの暮らしは企業が競って開発する新製品によって、どんどん向上していったと言って過言ではありません。しかし、一部では販売競争に陥り、消費者におもねるような製品開発が行われ、使い切れないほどの機能が付加されたり、目立たせるためだけの意匠や、既存のキャラクターに付加価値を求める製品も少なくありませんでした。いわば消費のための製造。大量生産大量消費の中でどんどん陳腐化されていく旧モデルの廃棄問題や、生産効率を追求するあまり環境問題を引き起こすなど、今世紀の終わり頃には、モノと人間の不幸な関係も見受けられるようになりました。

新世紀を迎えて、これを機に私たちは、20世紀の〈モノとの付き合い方〉を再検証して、工業製品と暮らしの幸せな関係を改めて模索することに意義があると私たちは考えたわけです。こういうと少々、大げさですが、このような内容を目指したわけです。そこで私たちは、読者や有識者の方々約500名に、個々のプロダクト観や、製品への不満、満足などを聞くアンケート調査を行いました。そのうち、回答を得られたのは約100件です。よほど書きたいことがあって返送したと思われるためか、厳しい意見が予想以上に多かったように感じられました。

今日、私が話す内容は、このアンケート調査や取材の中で実感したことがベースになっています。

一般にインターネットは三つのC(コンテンツ、コミュニティ、コマース)の成長段階を経ると言われています。Eコマースの市場規模の拡大も、コンテンツとコミュニティの充実が不可欠だと私は考えています。今回は、この二つのCについて、「PRODUCTS2001」の取材の中で、私が実感した消費者の動向から考えてみたいと思います。

今回の取材を通して感じられた消費者動向のキーワードは三つあります。チャーム、エステティックス、エシックです。チャームはネイティブアメリカンが身に着ける貴石のように、他者にとっては価値は見出せなくとも、それを持つ人の「精神」に適えば、特別な意味が生まれるモノを指します。エステティックスは美意識、エシックは倫理観のようなものです。日本語で説明すると何となく話に埋もれてしまいそうな気がするので、今回はあえて英単語をキーワードとさせていただきました。この三つのキーワードの対極にある概念は、大量生産大量消費、模倣、価格競争ということになるかも知れません。Eコマースは顧客中心市場、いわゆるバイヤーセントリックマーケットを実現すると言われています。しかしプロデューサーが考える顧客中心市場と、コンシューマー自身が考える顧客中心市場には若干の差があるように思います。今回はあくまで消費者サイドに立った顧客中心主義を考えてみましょう。

PRODUCTS2001の取材の中で、明星大学教授の羽原粛郎さん、エレファントデザインの西山浩平さん、デザインジャーナリストの山本雅也さんの座談会を行いました。ここで羽原さんがデザイン戦略的に評価すべきものとしてスウォッチに触れ、西山さんはプロダクトをファンクションとチャームという二つの側面で捉えてくれました。そもそも、この企画は「なぜ欲しいモノが売られていないのか」という単純な疑問点がスタートでした。現在の市場の問題を象徴するものとして、電話機を考えてみましょう。LIVING DESIGNで行った読者アンケートでは、この電話機に関する不満の声が大きかった。家電の量販店に行くと電話機コーナーには各社の製品が大量に並んでいます。しかし結論から言うとメーカー数、商品数はたくさんあるが選択肢がまったくないということです。つまり、すべて同じカタチなのです。誤解を恐れずに言えば資本主義は差異が利潤をもたらすと言えるでしょう。やがて競合各社の模倣品が増えて差異がなくなると、ブームが終わる、あるいは、また新たな差異を持つ製品が生まれると考えられます。しかし電話に関しては、フォルムに関しては新たな差異が生まれる期待は持てません。売り上げ動向調査で捉えると、電話はそれでも売れ続けていることになるのだと思います。したがって現状を肯定する結果が得られる。しかし、電話はデザインが良いから売れるのではなく、必要だから仕方なく売れているのだと私は考えています。そうでなければ、こんなに不満の声が広がるはずがないからです。

納得いかないモノを買う苦痛。自我が洋服や持ち物からインテリアにまで拡大している層には、自分の美意識、エステティックに適わないモノを身の回りに置くことは、辛いことだと思います。ヒステリックにそれを看過しようとするか、諦めるか。実際に私のまわりでは電話を置かない人、電話を隠す人が増えています。企業のマーケティングが本当に機能としていると言えるのか、疑問は残ります。電話機は既に機能が成熟した製品と言えます。これ以上新しい機能が付加されるとは考えがたいからです。こうした段階を迎えると製品はチャームになる可能性があって、ファンクションからチャームという幅広い差異の選択肢から、自分に必要な製品を選ぶことができる市場が、バイヤーセントリックマーケットの一つのカタチと考えられます。これがまだ機能が成熟していない製品なら、新たな機能が付加されたり、性能の向上が差異になります。したがって、こうした段階の製品は、まだチャームにはなりづらいと考えられます。

まず時計を例に考えてみます。

時計業界ではかつては性能競争が行われていました。いかに正確な時計をつくるか。時計は精度が価値だったわけです。私が中学生の頃、実際には1970年には製造されていたのですが、セイコーキングクオーツの登場で時計の性能競争は終着点に達しました。やがて時計は機械式からクオーツが中心となります。クオーツの登場は確かに時計の革命でした。しかし、なぜか味気ない世界となってしまった。1980年3月、スイスの最大のモーブメント・メーカー、エタ社は、ある時計の開発に着手します。組立式廉価時計「デリリウム」を基礎に単純構造の時計の研究を始め、少数部品を使った単純構造の時計の開発です。秘密裏に進められた、この新しい時計開発プロジェクトは「ノン・ウオッチ」と呼ばれていました。デザインにおいても、時計の持つアイデンティティにおいても、伝統をことごとく覆すことが、このプロジェクトの主眼でした。そして1981年7月に、新プロジェクト「スウォッチ」が誕生したわけです。日本市場に登場したのは1985年です。「スウォッチ」の登場は、高級時計のマーケットを駆逐したでしょうか。答えはNOです。私たちはその性能の対価以上の金額を払い、高級時計を購入します。今や500円の時計も50万円の時計も同じ性能です。しかし選択の幅は画期的に広がった。時計はファンクションからチャームになったと考えられます。

チャームとはいわば自我の投影や自我の拡大と考えられます。時計は身につけるモノだからチャームになりやすかったのかも知れません。そんな「スウォッチ」がやがて電話の市場に参入したのも偶然ではないと思います。実はこうした消費動向を、いち早く捉えていた人がいました。イタリア・ミラノにあるデザインの国際大学院ドムスアカデミーの、マーケティングの講義を受け持っていたフランチェスコ・モラーチェ氏です。モラーチェ氏は当時DDAの招きで1991年に来日し、イタリアと日本の消費動向についてレクチャーを行いました。彼は美的消費という言葉で工業製品のチャーム化を表現していました。イタリア人は機能が必要だから買うのではなく、また、安いから買うのではない。自分の美意識、エスティックに適うから買うという視点です。例えば会社帰りに花を買う。花は生活に必ずしも必要なものではありません。会社帰りに花を買う自分自身の客観的評価、それが自分の人生や生き方に適っているのか。こうした意識が消費に結びつくというのが、モラーチェ氏が言う美的消費です。

日本のメーカーにモノづくりで何を重視しているのかを尋ねると、欠陥品を出さないとか、品質管理といった答えが返ってくると聞いたことがあります。しかしイタリアはもっと哲学的です。例えばブルーノ・ダネーゼは工業の力で美術品をより多くの人の手に送りたいと考え、ダネーゼというブランドをつくったと言います。彼は自分は工業のエディタであると言っていました。消費のための製造ではないとダネーゼは言います。王様のためのワンオフのアートではなく、工業の力で最初の一つから最後の1000個まで同じクオリティの作品をつくることのできる可能性が生まれた。この工業力を生かしてモノをつくる。イタリアの消費者の美的消費はこうした人々によって育まれたのかも知れません。現在60〜70代を迎えるデザイナーに声を掛けて、1960年代、まだ20代の頃に何を買い、何を大切にしているのか。それを集めて展示する展覧会をリビングデザインセンターOZONEで行ったことがあります。そこでダネーゼの商品が数多く展示されました。子ども用の製品を今も大切に保管している。それはダネーゼの理念が機能を遥かに超えていたからと言えるでしょう。その人のエステティックスに適っていたから、その人のチャームになり、今も大切にしているのだと思います。

一方、元国連大学顧問のグンター・パウリ氏はエシカル・マーケティングという言葉で、近年の消費動向を捉えようとしています。グンター・パウリ氏は1994年にがゼロ・エミッション研究構想を提唱した研究家で、ゼロエミッション研究構想財団代表、著書「アップサイジングの時代が来る」などがあります。アメリカでわずか10年で売上高第二位に成長したアイスクリームメーカーがありました。特別おいしいとか、特別安いとか、何か変わったことをしているというわけではなにのにです。このアイスクリームの特長は容器にマニフェストが記されていることです。「私たちはバーモント州出身のアイスクリームメーカー。私たちは、バーモント州の零細酪農家以外から原材料は買いません」。つまり、このアイスクリームメーカーは、バーモント州の酪農業の火を消さないためにアイスクリームを製造している。大資本の参入で農業が集約化され、小さな農家や酪農家が路頭に迷うことは、民主主義の中心をなす中産階級の喪失を意味します。つまり自覚的な消費者の判断、倫理観が消費に結びついているわけです。「私たちは動物実験を行いません」と銘打ったザ・ボディショップの理念公表も、エシカル・マーケティングの一例です。消費者は製造者の理念や哲学に賛同して購入するわけです。

工業製品のチャーム化と消費者の美的消費、エシカル・マーケティング。つまりチャーム、エステティックス、エシックは私がEコマースの顧客中心市場のキーとなる考えだと思います。それは、いずれもコミュニティとの折り合いが良いと思われるからです。しかも、そこで売買される製品は、いずれも低価格競争に陥らないという特性もあります。エルメスにチャームとしての価値や、職人を大切にするエルメスの企業姿勢に共感してエルメス製品を購入する人は、たぶん、ドンキホーテではなく、エルメスのお店で購入するのではないでしょうか。また、安いからと言ってデッドコピーは買わないでしょう。

無印良品が最初の広告宣伝で発したメッセージは「訳あって安い」でした。しかし本当にまっとうな理由があれば、そう安くはならないはずだと私たちは感じています。「訳もなく安い」は最高におかしい。消費者の利益は製品をより安く買えることだから、そのため規制緩和を行おうとしている。しかしダイエーの凋落が象徴するように、私たちは安ければ買うのではない。例えば食品に関しては、安全を願う主婦層がアメリカの遺伝子組み替え食品を抑止する力になっています。私たちは安いから買うのではなく、安全だから買うのです。しかし市場は未だ、消費者は安ければ買うという段階を抜け出していません。Eコマースも、取引コストの軽減が消費者に利益をもたらすという視点で語られることが多いように思います。古典的な経済学においては、取引は需要と供給が出会い、交渉が行われて価格が決まり、取引が成立する、というプロセスにはコストがかからないと仮定されていました。しかし実際にはそのプロセスにはかなりのコストがかかっていました。従来であれば、売り手には宣伝物やカタログを作成し、印刷し、配布するというコストがかかっていました。しかしネットを使えば基本的にはファイルを作成しサーバーへアップロードすることで事が足ります。

一方、消費者にとってはインターネットを利用しない場合は、カタログやパンフレットを郵送で取り寄せたり、自分の足と目で情報を集めて、比較検討する。そこには「面倒」といった心理的コストも発生します。 ネットを利用すると、売り手を見つけるための情報収集コストが減り、パソコンの前にいながらにして、多くの売り手の情報を集め、比較することができると考えられます。これらは確かに事実ではあります。こうした要件を単純にEコマースの優位さの本質と考えて良いのでしょうか。Eコマースの現状を概観すると、早く、安く、効率的に製品を提供することで消費者の利益に貢献するケースが圧倒的に多いように思われます。しかし、これは従来はカタログやテレビで行われてきた通信販売が、若干、消費者寄りに進化しただけに過ぎないと考えられます。また、生産者、流通側から消費者に一方的に商品を提供するという、既存の物流・金流の域を出るものでもありません。安く早く効率的に商品を届けるだけのEコマースは、インターネットを販売のための一媒体として捉えただけのもので、そのポテンシャルを十分に生かし切っているとは言いがたいと思われます。

日本のインターネット・ビジネス環境(※2001年当時)について、2003年には1998年の10倍の市場規模にするという目標が、昨年(2000年)、政府から発表されました。年内には、商取引についても大幅な規制緩和が行われると言われています。さらにブロードバンド化を始めとするインフラ強化も計画されており、日本のインターネット環境はこの数年の間に、大きな進化を遂げることになりそうです。平成12年版通信白書によると、インターネットコマース調査によれば、日本における1999年のインターネットコマース最終消費財市場の市場規模は3500億円(対前年比約2.1倍)。これは全産業の最終需要の0.06%に相当し、インターネット人口一人あたりに換算すると約12934円に相当するとあります。また、同市場は、2005年には7兆1289億円に達するものと予想されています。ちなみに、アメリカIDC社の調査によれば、アメリカ合衆国の1999年の最終消費財市場は340億ドル(3.9兆円)となっており、これは日本の11.1倍の規模。さらに、2003年には、同市場は1774億ドル(20.2兆円)に達するものと予測されています。また、野村総合研究所サイバービジネス・ケースバンクによれば、インターネットコマースの最終消費財分野で営業している店舗数は11年12月末において20304店舗であり、これは対前年比55.6%の伸びでした。一方、平成11年版通信白書によると、わが国において、世帯普及率が10%に到達するまでにインターネットはわずかに5年だったそうです。ちなみにファクシミリは19年、携帯・自動車電話は15年、パソコンは13年かかりました。インターネットの普及は加速度的に拡大していったわけです。同資料によると、1999年末における日本の15〜69歳までのインターネット利用者数は2706万人(対前年比59.7%増)と推計、2005年には7670万人に達するものと推計されると平成11年度通信白書にはあります。また、「通信利用動向調査」によれば、インターネット普及率は、世帯が19.1%、事業所が31.8%、企業が88.6%となっており、様々な場所におけるインターネットの利用が拡大を続けています。

次にインターネットのコミュニティについて考えてみましょう。

一般にコミュニティ生成に必要な要件は「相互交流」「共通の目標や関心事」に加え「一定の地理的範域を伴うこと」というものでした。例えば大阪にある阪神タイガースファンのコミュニティに、同じファンだからと言ってデトロイトから参加することは難しいことでした。しかしインターネットの場合、地理的制約から解放されると同時に、メンバー同士が直接出会わなくともコミュニケートできるために、時間的制約からも解放されます。つまり、インターネット上のコミュニティは、時間や場所といった物理的な制約から解放され、より自由に、より大多数のメンバーが集まり、交流する場であるといえるでしょう。地域と時間という制約から解放されるだけで、コミュニティは一気に拡大します。

例えば、私は家具が好きなので、インターネットのサーチエンジンに「モダン」「椅子」と入力してみます。そこには、世界各国のモダンチェアのサイトがリストアップされます。さまざまなサイトを巡るうちに、自分の趣味に近いホームページを見つけると、ブックマークに入れて、定期的にチェックするようになり、BBSやメールで情報交換が行われるようになります。具体的に場があるわけではありませんが、都内の家具ショップでお茶を飲みながら椅子についての四方山話を楽しむように、オフラインのコミュニティと同じような情報・意見の相互交換が行われるわけです。私が家具ショップのない、どこか遠い離島に引っ越したとしても、コミュニティへの参加は制限されるものではありません。コミュニティでの情報交換によって買い手と売り手の情報格差がなくなったり、通常では入手できない椅子を、世界中のマーケットから探し出すことができるかも知れません。情報格差がなくなることは、売り手にとって不利であるように見えますが、売り手がきちんと企業活動をするならば、情報を持った買い手は大きな味方になると思われます。メーリングリストやフォーラムで情報を積極的に発信したり、意見交換の中心となっているのは、その分野における情報や知識が豊富な人々です。そこでは、売り手側の知らない、消費者のみが知り得る情報もやりとりされており、売り手にとっては、買い手との貴重な情報交換の場としても機能しうると言えるでしょう。一方、私に何か倫理的な主張があると仮定します。例えば、動物実験反対。同じようにサーチエンジンに「動物実験」と「反対」と入力すると、これもさまざまなオンライン・コミュニティにアクセスすることができます。そこで私は、ザ・ボディ・ショップ、クラランス、シャネルの化粧品は、開発時に動物実験を行っていないという情報を入手することができます。こうした道筋から得られた製品情報は、実際の購入に結びつきやすいように、私には思われます。

本当にほしいモノがない=自分の暮らしに置くべきモノがない。自分の精神に適うモノがない。オンライン・コミュニティには、こうした消費者意識を顕在化させる可能性もあります。従来のマーケティングでは絶対的な少数派と無視されてきた層も、オンライン上で集約されると、ある程度の数はまとまるものです。Super Fishing World(SFW)はルアー、フライフィッシングをはじめとするスポーツフィッシングの総合コミュニティサイトです。単独で年商1億円を超える数少ないECサイトの一つと言われています。しかし私が生まれ育った北海道の小さな町では、スポーツフィッシングを楽しむ人は、片手に余る数といったところだと思います。これらを巨視的な視点で捉えると、マスに対して小さな点のような、無視すべき存在かも知れません。しかし、地理的制約や時間の制約を外してすべてを集約すると、同じような志向を持つコミュニティ参加希望人は日本だけでも何万人単位でいるはずです。こうしたインターネットのコミュニティでこそ、顕在化されるものだと思います。

エレファント・デザイン代表の西山浩平氏がネット上で主宰する「空想生活」は、インターネットのコミュニティを利用し、きわめてユニークなビジネスモデルを展開しています。「空想生活」では、コミュニティ内で投稿された「本当はこんな製品が欲しい」という製品案をサイトに掲示。多数の支持を得たアイデアについて、エレファント・デザインはメーカーに製品化の交渉を行い、コミュニティの声をメーカーへ橋渡しするというエージェント的な役割を果たすわけです。メーカーは過剰生産のリスクを回避することができる上、余計なモノはつくらないという今日的な倫理観にも適うかも知れません。購入する人々は、オーダーメイドに近い希望の商品を、オーダーメイドよりは安く購入できるメリットもあります。何よりも自分のエステティックスに適う、本当に欲しいと思うモノ=チャームを入手することに勝る顧客満足度はないはずです。もともとは、学生時代に鞄の注文製作を請け負っていた西山さんが、オーダーメイド製品を購入した顧客満足度の高さ、そのポテンシャルの高さを実感して、そこから生まれたアイデアだったと聞きました。本来、よく考えると、私たちのまわりにある日用品で、大量生産に本当に向いている商品は意外に少ないものです。しかしオーダーメイド受注には限界があります。その中間。機能が満たされたモノであれば、自分の美意識に適う味付けがなされていれば、満足するものです。そのため、空想生活ではユーザーの志向を、フレバーという、分かりやすい言葉で表しています。

エレファントデザインのモノづくりの考え方は、自動車メーカーや時計メーカーが、ネット上で自社のオプションやバリエーションの順列組み合わせの幅の中で、消費者の好みに近い製品を提供するスタイルとはまったく違うことが分かると思います。彼らのビジネスには、チャーム、エステティックス、エシックがしっかりと息づいていることが分かると思います。

インターネットのコミュニティを利用したEコマースのビジネスモデルとして、共同購入によって購入価格をディスカウントさせるAccompany.comや、ユーザー自身の商品購入アドバイスを相互提供するExpert Central.comなどがありました。しかしこれらは、インターネットでしかできない、というものではありません。前者は生活協同組合があるし、後者はいわば地域教育や、近所付き合いの井戸端会議の代替のようなものです。このようなコミュニティがオンライン上で行われ、場所と時間の制限から解放されると、こうしたサイトになると考えると分かりやすいと思います。これらは同じコミュニティであっても、チャーム、エステティックス、エシックとは、そんなに折り合いが良くないかも知れません。しかし、コミュニティの特質として挙げられる「ロイヤルティ」「絆」のようなものは、時としてEコマース企業を助ける例もあります。

Eコマース企業にとってコミュニティが看過できない存在になっていることは、Amazon.comが証明してくれそうです。同社は現在1000億円近い債務超過を抱える赤字企業であることはご存じの通りです(※2001年当時)。普通の企業なら倒産しているでしょう。それでも卸元が離れないのは、同社が2000万人と言われる顧客のコミュニティに支えられているからではないでしょうか。私はAmzon.comは、いわば地域教育の代替だったと考えています。かつてはどんな小さな町にも一件は書店があり、インテリかインテリ崩れの店主が店番をしていたものです。ここで、何か本を買うと、店主は「この本を読むなら、次はこれを読むといい」とか「この筆者のいちばんの傑作はこれだ」とか、接客の中で読書指導をしてくれていたわけです。Amzon.comで看過できないのは、こうしたコミュニティの要件を兼ね備えたサイトだったからだと、私は思います。そのロイヤルティに支えられているからこそ、卸元も無視できない販売チャンネルであると考えているのではないでしょうか。

まとまりのない話で恐縮ですが、今後、インターネットコマースを考える企業、団体の方々には、宣伝媒体としてネットを捉え、闇雲に情報を発信するのではなく、コミュニティのあり方に注目してほしいというのが、本日の結論になると思います。また、コミュニティに内在する、チャーム、エステティックス、エシックといった精神要素に応えることが、成功の鍵になると私は思います。


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