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アン・モロウ・リンドバーグ/ひとりの時間/ヘッセ [本/雑誌/文筆家]

ガールフレンドが帰国して今月からまた一人の生活になった。
正直言うと寂しいけど、残された一人の時間をうまく使わなければと思っている。
ずいぶん前になるけど、ぼくが以前仕事をしていた「LIVING DESIGN」という雑誌で「ひとり」の特集を組んだことがあった。独りでいることをネガティブに捉える人が多かったので、それに対する反論の意味もあった。
アン・モロウ・リンドバーグは自著『海からの贈物』の中でこんな一文を書いている。
「我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない」。
本に記された文章でぼくが諳んじられるのは、この文章と、中島敦の(文庫本の)『山月記』の冒頭の2ページだ。とはいえ記憶は不確かなので、今回は須賀敦子の『遠い朝の本たち』の中の「葦の中の声」に載っていた『海からの贈物』の引用文を孫引きした。この一文は本当に心に染みる。

アン・モロウ・リンドバーグの文章は次のように続く。

「しかし女にとっては、自分という者の本質を再び見いだすために一人になる必要があるので、その時に見いだした自分というものが、女の複雑な人間的な関係の、なくてはならない中心になるのである」。
男であっても、その通りだと思う。それでも多くの人は孤独を恐れる傾向にある。手帳の予定表が空欄であることを気にする人たちもいる。用事がないのに何となく集まる人たちもいる。誰かと一緒に過ごす時間も大切だけど、一人でいる時間も同じくらい大切だとぼくは考えている。確かに「或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこない」と思うからだ。『海からの贈物』は落合恵子さんの新訳も出ている。こちらは購入はしたけれどまだ読んでいない。

海からの贈物

海からの贈物

  • 作者: 吉田 健一, アン・モロウ・リンドバーグ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/07
  • メディア: 文庫


海からの贈りもの

海からの贈りもの

  • 作者: アン・モロウ リンドバーグ
  • 出版社/メーカー: 立風書房
  • 発売日: 1994/10
  • メディア: 単行本


遠い朝の本たち

遠い朝の本たち

  • 作者: 須賀 敦子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 文庫



今日も森を散歩しながら考え事をしていた。ぼくは最近、自分の立ち位置というか地図を見失っている。20年以上、仕事をしてきて、それなりの自尊心もあったが、それに溺れると本当に「山月記」の虎になってしまう。あんなに面白がっていた「デザイン」への興味も、広い視野が持てなくなってきた。悪く言えば独善的になってきたように思う。デザインの研究家として生きようと思った頃もあったが、アカデミックにデザインを学んだ経験もないし、そうしたベースがないためか中途半端に知識が増えるほどに「デザイン」とは何かどんどん分からなくなる。ぼくが学生時代に嬉々として学んだ文学のモダニズムは、残念ながらモダンデザインには応用しづらい。新雑誌のマーケティングプランも考えたが、日本の状況はどんどん先に進んでいるようだ。自分に何ができるのか。雑誌編集者の仕事を離れて8カ月が過ぎ、さまざまなジャンルのフェローたちとの交流を経て、ぼくはもう一度、謙虚にスタート地点に戻らなければならないのではないかと思っている。40代半ばで「人生ゲーム」の振り出しに戻るのは勇気がいることだ。帰国までの4カ月は自分自身の再構築の時間になりそうだ。それがぼくに残された一人の時間の意味なのだと思う。

8月のある日、ガールフレンドとヘルマン・ヘッセ生誕の街カルフに行った。久爾子さんとウォルフガングさん夫妻にクルマで連れていっていただいたのだ。街の小さな川に架かる橋では、これが「車輪の下」に出てきた橋だと教えていただいたが、恥ずかしいことにまったく記憶になくて、知っているかのように頷くだけだった。ただ、ヘルマン・ヘッセの博物館に入った瞬間、ぼくの記憶は一足飛びに中学時代の教室に遡った。ヘッセ博物館の入り口には、人の背丈以上の巨大な木製の標本箱があって、各国で出版されたヘッセの書籍が、チョウが羽を広げたように表紙を広げてピンで留められていた。それは明らかにチョウの標本をモチーフにしたものだ。そこでぼくが思い出したのは、現代国語の教科書に載っていた「少年の日の思い出」という印象深い短編小説だ。登場する少年たちは昆虫採集に夢中で、鱗翅類の標本をコレクションしていた。この掌編は1911年に書かれた作品を改稿したもので、オリジナル作品の原題はDas Nachtpfauenauge。直訳すると「夜のクジャクの眼」。これはヤママユ蛾の一種のドイツ名だという。ぼくは北海道の田舎育ちなので、夜、街灯に集まる大型蛾の中で、ひときわ美しい、繊細な油彩を思わせるヤママユの姿をよく知っている。少年時代のヘッセは黒い森で昆虫採集をしていたのだろう。南ドイツと北海道の気候や自然環境が似ているなら、今もヤママユやオオミズアオのような大型の蛾がいるはずだ。でも、残念ながらこの夏、夜の灯りの下でこうした蛾を目にすることはなかった。

蝶

  • 作者: ヘルマン ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1992/03
  • メディア: 新書


その代わりという訳ではないが、夜、窓を開けているといつの間にか部屋に侵入していたのはガガンボだ。ガガンボは蚊をそのまま大きくしたような姿をしたハエ目の昆虫。通称カトンボ。ガールフレンドは最初、この得体の知れない大きな蚊を気持ち悪がっていたけど、人を刺さないことや、翌朝にはたいてい死骸になって転がっている弱々しさを知り、いつしか怖がらなくなり、テーブルに止まったガガンボに水をあげたり、できるだけ外に逃がしてあげるようになった。水をあげるとブレークダンスを思わせる不思議なダンスを披露してくれる。英名はクレーンフライ Crane fly=鶴のハエ。とにかく最弱の昆虫ではないかと思うほど、すぐに弱ってしまい、少しさわっただけで手足も簡単にもげてしまうので、外に逃がすのも大変だった。9月になって、そのガガンボの姿も見なくなった。子どもの頃の昆虫図鑑の記憶や、夢中になって読んだ「ファーブル昆虫記」のことを思い出したドイツの夏が終わろうとしている。


今日の朝食は、昨夜のキャベツ&コンビーフのトマト煮と、水にさらしたタマネギを鰹節とポン酢で食べた。昼は買い物途中にバタープリッツエルとコーヒー、リンゴを一個。夜はアカデミーのマンスリーディナー、典型的なシュヴァービッシュ料理だった。「ポン酢」がオランダ語だったことを知り驚く。


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